初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 10月3日

散策思索 16

Denmark 探索04

-Mette in Odense

(オデンセのメッテ)

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Denmark 探索04-Denmark探訪 (4) “Mette in Odense” (オデンセのメッテ)

北田 敬子

「お財布持ってくるの、忘れたみたい」と娘が言い出した。
 「ええっ、Copenhagenで財布落としてあれだけ騒いだのに、また?」
 その迂闊さにあきれてしばし言葉を失った後、
 「で、どうする?取りに帰るか、それとも無事を信じてこのまま歩く?」との私の問いに、
「まあ、大丈夫だと思うけれど、念のため戻ろう」と娘が結論を出した。
私たちはOdenseの街の中心部から踵を返して、今来たばかりの道を住宅地目指して歩き始めた。晴れ渡った夏の日中、日差しは強くても湿度が低いので、旧市街地や(比較的)新興住宅地の整然とした街並みを左右に眺め、川沿いに広がる緑地を望めば、それだけで観光になる。(負け惜しみも含めて!)私たちはインターネット上の”Airb’b”(Air B & B)を介して探した個人宅に一晩宿泊することになっていた。

前日にステイ先に午前中の到着予定をメールしたところ、「その時間に私は仕事で家におりません。もし荷物だけ置いて出かけたいなら、黒い門を開けて庭の隅にある屋根の下にどうぞ」というメッセージがホステスのMetteから届いた。住所を頼りにOdenseの駅からバスに10分ほど乗ったところで降りると、瀟洒な宅地が広がっていた。ゴロゴロとスーツケースを押しながらここか、あそこかと目指す家を探す。ホテルに投宿すればそんな面倒は省けたろうが、これも「探索」の醍醐味である。

ここだ!もちろん看板などは出ていない。住所表示と表札でそれと確認できるだけ。確かに「黒い扉」があった。掛け金を外すと扉は難なく開き、そこは目の覚めるような芝生と木立に囲まれた庭。「わー、これが民泊のお家?なんてきれいな!」と思わずため息が出る。片隅の屋根の下には自転車や洗濯物干し、園芸道具などが無造作に置いてあり、私たちがスーツケースやリュックを並べても安心・安全なのは一目瞭然だった。重たい荷物から解放され、手回り品だけ入れたショルダーバッグを各々背負った時、娘はリュックの中から財布をバッグに移すのを忘れたらしい。私たちは夕刻までゆっくり街を散策するつもりで、意気揚々と黒い扉を出たのだった。

一旦戻って再び黒い扉を開け、リュックから娘は無事に財布を取り出した。やれやれと、今度こそOdenseの市内中心部に点在する名所を回るべく、扉の外に出たところで私たちは精悍で温厚そうな一人の男性に出会った。彼は私たちをじっと見て、「ようこそ、私はMetteの夫です」と名乗った。ああこれが「もしかすると夫が昼頃一旦家に戻るかもしれません」とMetteのメッセージにあった方だと理解した。突然自分の庭の扉から見知らぬアジア人の女が二人出て来たのに戸惑いも見せず、落ち着き払っての挨拶。握手し、「後ほどまた」と別れて、私たちは同じ道を街の中心地へ向かった。

宿泊地から市中まではせいぜい30分余り。前日のHelsingørに比べればOdenseは都会だ。Andersenの関連施設が集まる一画には観光客がぞろぞろと行きかう。古さにおいてもこじんまりした佇まいにしても、心和む雰囲気が漂う。子供時代に親しんだAndersenの童話とこの街を結び付けて訪れる人々の夢を裏切らない。本来ならその目玉の一つ、「H.C. Andersen博物館」は目下リニューアルのため閉館されており、展示物は臨時に「Odense Koncerthus―コンサートホール」にスペースを設けて公開されていた。

Andersenの子供時代の家で、受付に座る年配の女性から、私はこう話しかけられた。
「どちらからいらしたの?日本?まあ、それじゃ新しい博物館の建築家のお国ね。Mr. Sumiよ。ご存知かしら?来年には完成するから、またおいでなさいな。」
それは東京オリンピック開催に向けて建設の進む新国立競技場の設計者、隅研吾氏のことだった。工事の進む地区には塀が張り巡らされ、作業の車が出入りし、埃っぽかった。その意味では、Odenseは期待外れの様相を呈していたというべきかもしれない。けれど活気があった。街全体が博物館といった側面もあるが、歴史に埋もれて眠る場所のような雰囲気には程遠い。一人の文学者アンデルセンを国の誇りとし、かつ斬新なデザインを貴ぶDenmarkで、日本人建築家による新博物館のお目見えが待たれていることに奇縁を感じた。

目抜き通りを一巡し、Andersenの展示を見て回り、 Møntergården(市立博物館)でFyn島の歴史や文化に触れ、石畳の敷き詰められた路地を徘徊するうちに、さすがに疲れてきた。余り遅くならないうちに一旦宿で正式にチェックインしておいた方が良いのではないかと、私たちは来た道を再度住宅街に戻ることにした。この頃には街の凡その地理が頭の中で描けるようになっていた。

Metteは知的な雰囲気の女性だった。私たちが通されたのは半地下のリビングルームにベッドルームがつながる広々した二間で、専用のお手洗い、洗濯場の中にカーテンで囲われたシャワー、タオルにドライヤーなど、一泊には十分すぎるほどのしつらえ。一通りの案内の後、彼女が「どうぞご自由に」というのを引き留めて、朝食の有無や近隣の食事事情などを尋ねると、「朝食サービスはありません。近くにはいくらでも良いレストランやマーケットがあります」との答えが返ってきた。やはり”b’b”とはいえ、breakfastは無いのだった。
急がないと本当に日が暮れる。朝食のことも考えなくては。かくて私たちは、その日三度目のOdense巡回に出かけた。明かりの灯る通りには屋外に席を設けた食べ物屋がひしめき合い、さんざめきながら人々はグラスを傾け、食事を楽しんでいる。そんな光景は既に見慣れていたものの、一日歩き通した後では、暖かく汁気のある夕飯が食べたくなる。どこでもいいから適当にとは思えず、さりとて高級レストランは論外となると、最後はネット頼み。スマホで”tripadvisor”を検索してヒットした「スープカフェ」なるものを探し出し、ようやく人心地着いた。(今様サバイバル術。)帰路、朝食用の買い出しにスーパーへ。

シャワーが悲惨だったことを除けばMetteの家は快適だった。翌朝もチェックアウト時刻から数時間、前日同様に荷物を庭に置かせてもらって、私たちは四度目のOdense巡回をした。未だ店も開かない早朝の街はひっそりとし、Andrsenの家の前にも誰もいない。Odense名所をことごとく見て回ったわけではない。むしろ街を辻から辻へとさ迷い歩いただけだった。それでも私たちは24時間の滞在にしてはOdenseの街を堪能したように感じる。またいつかこの街へ舞い戻って来そうな気がするから不思議だ。

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