初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 10月27日

散策思索 17

Denmark 探索05

-Hygge in Aarhus-1

(オーフスでヒュッゲ-その1)

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Denmark 探索05-Hygge in Aarhus-1(オーフスでヒュッゲ-その1)

北田 敬子

Denmarkのことを語るとき、忘れられないのが“hygge”という考え方・感じ方だ。
このデンマーク語は [hoo-ga] あるいは[ hue-gah]と発音するのだと英語のインターネットサイトには書いてある。(カタカナ表記では「ヒュッゲ」が標準だ。)Denmarkを旅していて、何度かこの言葉を耳にした。あれこれ検索すると、「魂が心地よい状態」とか「翻訳できない。感じるしかない」、「この捉えにくい文化的想念を本当に理解するには、万巻の書を読むよりデンマークに行ってみることだ」(BBC News, 2015)といった文言に出会う。それを実感する機会があるだろうかと漠然と考えながら私たちは旅を続けていた。

Odenseを後にした私たちが向かった先は、Denmark第二の都市Aarhus(「オーフス」が日本語での通常表記だが、耳には「オフュス」と聴こえる)。Copenhagen空港に出迎えてくれた友人Ingerとその家族が界隈に住んでいる。今回の旅行の最大の目的は、友人たちに会って旧交を温めることにあった。だから、Aarhusでは三泊四日を予定し、その間はガイドブックを閉じて何なりと友人たちのアドバイスに従おうと決めていた。

旅行前にIngerと交わしたメールには、彼女が私たちを自宅でもてなすのは健康上の問題があって無理なので、息子一家のもとに滞在してほしいと書いてあった。当初私はIngerの住まいの近くに手ごろなB&Bを探し、そこから何度か彼女に会いに行こうと思っていた。シニア同士のおしゃべりに付き合うより、娘は一人で好きなだけ市内観光をすればよいのではないかと考えていた。もちろんJacob一家に会うのは楽しみだったが、流石に三日もお邪魔するのは躊躇われた。だがJacobからも極あっさりと、「うちに来て泊まるといい。ちょうど休暇から帰った週末だから好都合です」とのメールも来た。

Aarhusの駅にはIngerと、職場を抜けてきたJacobが待っていた。(彼はAarhus大学の教授だ。)Jacobにスーツケースを預け、私たちはIngerと共に、ローカル鉄道で彼女の住まいのある隣の駅Hinnerupへ向かった。駅の駐車場に止めてあったIngerの車で共同住宅の並ぶ一角へ。私たちは街路をひたすら歩き回る旅行者から、突然Denmarkの内側に踏み込んだ気がした。

Ingerの小ぢんまりしたダイニングルームでコーヒーを飲みながらゆったりと話をする。日本の共通の友人から託されたお土産を手渡し、しばし思い出話に花を咲かせる。私たちの持参した土産物も広げ、気にかかる互いの健康問題にも踏み込む。静かで穏やかな時が流れた。飛行機や列車での移動を忘れ、久しぶりに互いを見交わす喜びに浸って。
尽きない話の最中に娘が「ところで、そろそろバスの時間だったのでは?」と切り出して、ハッとした。AarhusのレストランでJacob一家と夕食の約束だった!テーブルを片付けもせず三人は立ち上がりバス停へと急ぐ。結局Ingerと差し向かいで話をする機会はこの時限りだったのだが、私たちはそのことに気付きもしなかった。

Jacobと妻のBedia(以降ベディアと表記)、15歳の娘Anna Hazelが加わって6人が食卓を囲む賑やかで楽しい夕餉となった。だが、Ingerはバスに乗って帰らなくてはならないので、一足先にレストランを出る。私より年配の、健康に不安を抱えるIngerが一人で帰っていく姿に私はふっと寂寥を覚えた。この瞬間の印象はその後消えることがない。

Jacobの家は、Aarhusの中心を離れた住宅地にある。中古家屋の内装を刷新した家の一階には広々としたキッチンとダイニングルーム、居間、TVモニターのあるリラックスルーム(ここのソファを広げて私のベッドがしつらえられた)、玄関脇の小部屋(ここに娘用のベッド)、バスルーム。二階には家族の寝室と階上のバスルーム、地下室には洗濯場。これなら複数の客人が滞在しても一家の生活空間は守られる。贅沢品は何も置いていないが、スッキリと美しい。(ベディアによれば、お客を迎えるのは掃除するきっかけになるから歓迎なのだという。)

ベディアはトルコ人だ。彼女も研究者で、Jacobとは留学先のAarhus大学で出会った。二人は国籍も宗教も超えて結婚。ベディアがTurkeyの大学に職を得ていた間は、二か国の間を行き来し(飛行機で3時間)、Anna Hazelは両国語を母語とする。この夏一家はTurkeyで休暇を過ごして、陽光をたっぷり浴びてきたという。Ingerによれば「Jacobはずっとsingle fatherのようだったの。ようやくベディアがDenmarkに定職を持ってホッとしたわ」とのこと。息子一家の変則的でダイナミックな暮らしぶりを、ハラハラ見守ってきたIngerの気苦労が垣間見えた。

翌日は朝からJacobとベディアが交代で運転する車(ホンダのマーチ)に乗って出発。先ずはDen Gamle By (Old Town)と呼ばれる歴史的家屋・建造物・町並みを再現した野外博物館で、私たち二人をAnna Hazelが案内することになっていた。彼女は中学三年生ながら英語が実に達者だ。語彙も豊富で、ネイティブスピーカーに引けを取らない。「どこで習ったの?」と聞くと、「学校で」とそっけない。Aarhus市内の私立校に通っている。授業では主にクラスメートとの共同作業やディスカッションを通じて英語を学ぶので、とても刺激的で楽しいという。Old Townは何度も案内したことがあるから慣れていると言いながら、要領を得た解説をしてくれる。私は心中秘かに「これが中三か!」と驚嘆せずにいられなかった。言語能力だけではなく、広い知識と落ち着いた堂々たる案内ぶりにも。

昼過ぎにJacobとベディアが現れ、再び私たちを車に乗せて海岸に近い森へ誘った。ベディアは大きな袋を抱えている。「鹿にニンジンをやるの、楽しいわよ」という彼女について鉄の扉を開けて森に分け入ると、放し飼いの鹿がたくさんいる。人間たちが差し出すニンジンを悠々とかじる。中にはいらないとそっぽを向くのもいる。立派な角を備えた鹿も、優しそうな瞳の鹿も、小鹿ものんびりと陽を浴びてたむろしている。私たちもベンチを見つけて座って、ベディアが袋から取り出すスナックを食べ、飲み物でのどを潤した。「こんな風に、家族や友達と森に来て、ゆったり過ごすひと時をDenmarkの人たちはhyggeって言うの」とベディア。陽だまりで微風に吹かれていると、海外旅行に来たという気負いは全部抜け、心地よい寛ぎが心身に広がっていく。

静かで暖かで和やかなひと時。だがhyggeの向こうで、どれほどベディアが奮闘しているか私には想像がつく。Ingerのひっそりとした姿も脳裏をよぎった。(この項続く)


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