初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 9月24日

散策思索 15

Denmark 探索03

-Hamlet Live

(ハムレット・ライブ)

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Denmark 探索03-Hamlet Live (ハムレット・ライブ)

北田 敬子

Helsingørは日本語の文脈では「エルシノア」と発音されることが多い。例えば小田島雄志訳『ハムレット』第一幕第一場は「エルシノア城壁の上の通路」だ。この作品に親しんだ耳には、ハムレットとエルシノアは分かちがたく結びついている。ところが、旅行ガイドブック『地球の歩き方』にここは「ヘルシンオア」と紹介されており、他にも「ヘルシングエーア」、「ヘルシンゲル」、という表記も見かける。Helsingørの発音は英語なら [/?h?ls?????r/ HEL-sing-UR]、デンマーク語なら [h?lse??ø???])という表記がWikipediaに載っているところを見ると、冒頭の[h]音を発音しないのは、むしろ例外なのかもしれない。

CopenhagenからHelsingørへ。一時間足らずの旅程の大方は、穏やかな田園風景だった。その中で目を引かれたのが、発電用の風車群である。実に鋭角的な翼が地平線に林立している。パンケーキのような国土であれば、風でエネルギーを作り出すのは合理的なのだろう。後にDenmark人の友人に聞いたところでは、洋上風力発電も盛んだとのこと。「海の上なら誰の邪魔にもならないからね」というのだが、景観に異を唱える人はいないのだろうか。いやむしろその無機的な翼の回る様子は未来的デザインとしてDenmark人の美意識に適っているのではないか。原子力発電のようなとんでもない事故を起こす心配もない。国内電力消費量の43.4%を風力発電が賄っているというから(AP, 2017)、風力大国である。
さてHelsingørに着いてみると駅前が港で、Sweden行きの船着き場がある。対岸とは僅か5Km。Scandinavian Peninsula(スカンディナヴィア半島)は目と鼻の先である。今回の旅はDenmarkに集中しようと決めていたものの、俄かに近隣諸国への興味がわき上がり、ヴァイキングや、北欧神話への憧れも高まる。

この街へ来たのは、もちろんShakespeareのHamletの舞台となったKronborg Slot (クロンボー城)を見るためだった。夏季にはこの城の随所で“Hamlet Live”という催しが行われている。いわばHamletの故郷でcostume play(コスプレ)を見るようなものだが、全幕通しというのではなく、名場面を切り取って本物の城で上演するという趣向だ。しかもセリフはShakespeareの英語そのまま。考え始めるとどちらが本場なのか混乱する。

ShakespeareがDenmarkの王子を劇の主役にしたのはそもそも北の勇壮な背景を借りてきた異国趣味であったろうし、Denmarkとしては世界一有名な王子の降臨でこの城が不朽の名を遺すなら大歓迎。ユネスコの世界遺産に登録されている典雅で立派なルネッサンス様式の建築物に、Hamletが永遠の命を吹き込んだと言っても過言ではない。

城門をくぐってcourt yard(城の中庭)に入ると、演目・上演場所・上演時間の書いてある黒板が無造作に立てかけてあった。これは、その日のスケジュール進行に合わせて書き換えられるようで、固定的なものではなさそうだった。(事前に「予約不要。いつでも自由に鑑賞可能」という説明を読んだ時には、はてさて?と首を傾げたのだが、極めて緩やかで自由度の高いイベントだった。)城の中を見学している最中にばったり芝居に出くわすか、観たい場面を求めて城内を移動するかは観客次第。私は、名場面を見逃したくないと思っていたので、黒板の文字を目に焼き付けた。すると、どうしても時と所に縛られた気もそぞろな見物の仕方になってしまう。相棒の娘はShakespeareより城の構造や展示物に興味がある。今回の旅行中、Kronborg 城はもっとも二人の意見が合わない場所となった。

黒板に書いてあったBall Room(大広間)を目指して足早に部屋から部屋へと移動していると、突然娘が「あ、王様がいる!」と囁いた。確かに、王冠を被り、剣を帯びた長身の男性が物憂げに壁に寄りかかって窓の外を見ている。雰囲気からいうと、若いHamletではなさそうだ。では、宿敵である叔父のClaudius? あまり邪悪には見えないが…。出番を待つ役者の舞台裏での素顔を垣間見たような、タイムスリップしてこの城の古の住人に出会ってしまったような、白昼夢を見た瞬間だった。

回廊でのHamletと母Gertrudeとのやり取り、狂気に落ちていくOphelia、そして大広間では骸骨を小道具に”To be or not to be, “の場面やHamletとLaertes最後の決闘場面などが玉座を中心に繰り広げられ、観客は役者の動きに応じて集散を繰り返す。なんとも愉快なのは観客の気軽な鑑賞ぶりだった。役者が同じ平面で観客を相手に台詞を言って見せるものだから観客も頷いたり笑ったり。私は秘かに、「えーっ、皆さん英語のセリフが良くお分かりなのですね?Shakespeareですよ、Shakespeare!」と心の中で呟いていた。思えばDenmarkはブリテン島のScotlandとほぼ同じ緯度にあり北大西洋を一跨ぎの近隣国同士。勝手知ったご近所の十八番(おはこ)を楽しく見ているという雰囲気だった。毒杯をあおり、チャンバラで果し合いをする筋立てに肩肘張る必要はない。斬新な演出で大向こうを唸らせるShakespeare劇も悪くないが、こうして見物人がぞろぞろ役者を追いかけながら城内を移動する上演も捨てがたいものだった。

この城は、海峡を見晴らす塔のてっぺんからの眺めも、英雄が眠るという地下牢も見ものだ。もはや火を噴くことのない大砲があちこちに配備され、展示されている所蔵品の数々も本物ならではの光を放つ。だが、生きたパフォーマンスの導入が夏場の観光客にどれほど大きな楽しみを与えているかは測り知れない。HamletはやはりDenmarkの寵児なのだった。
城を後にしてぶらぶらと歩き回ったHelsingørの街並みは、テラス席の張り出した通りや迷い込んだ路地の何処も保存が行き届き、いずれの街角も絵になる美しさだった。
だが、忘れてならないのは短くも美しい夏の後、この国には長い厳しい冬が来ることだ。前回私がHelsingørを訪れたのは、3月の終りだった。海も街も凍てつき、雲が低く垂れこめ風景はどんよりした鈍色に染まっていた。よもやこのように明るい光を浴びた季節が回ってくることなど想像もできない寒さだった。もちろんそんな時期には“Hamlet Live”などない。分厚い外套を着て白い息を吐きながら見て回った城や街。それから幾度も季節は巡り、この度は陽光を浴びながらの再訪となった。歳月の変遷をかみしめる旅路でもある。

Kronborg城には国旗が翻り、現在もなお立憲君主国家であるDenmark王国の矜持を見る思いがした。人口5,780,000人の国家が、ヨーロッパの要衝の一つで言語を含む独自の文化を保ち、確固たるエネルギー政策を施行している。旅先で一国の光と影双方を深く知るのは並大抵のことではないが、その国について考える契機はどこにでもある。

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