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徒歩記 1 「本郷菊坂路地めぐり」
        The Amazing Maze
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坂道の行き先を確かめたあと、私は再び段々を下りて菊坂下の路地へ戻り、ここかあそこかと細い路地を覗くうちふと心惹かれる通路があった。自転車や植木にさえきられて奥までは見通せない。私有地に立ち入るのは気が引けたものの、何者かに導かれるように進んでいくと、ぽっかり空間が開けてそこはあの場所、樋口一葉旧居跡の井戸端だった。

四、五軒の家屋に囲まれ、井戸端は小さな広場のようになっていた。「猫の額ほどの」と添えた方がいいかもしれない。薄青の汲み上げ式ポンプが、濃い緑色をした円柱形の井戸の上に乗せてある。ハンドルを上下して水を汲み出すポンプのノズルの先には、こざっぱりした豆絞りの手ぬぐいが袋にして被せてあり、おまけに何かのおまじないか束ねた小枝がぶら下がっていた。井戸の木蓋の上に「防災協定井戸 飲むときは必ずわかして下さい 所有者並びに文京区役所」と大きな板が打ち付けてある。古いとはいえ現役の証拠だ。「ああここが」とやはり感慨は押さえられなかった。すぐ目についた「樋口一葉旧居跡」の説明プレートに近寄って文字を追う。

樋口一葉の菊坂旧居跡
文京区本郷4-32・31

  一葉は、父の死後母妹と共に、次兄虎之助のもとに身を寄せた。しかし、母と虎之助の折り合いが悪く、明治23年(1890)9月、3人は旧菊坂70番地(この路地の菊坂外道に向かって右側)に移ってきた。ここは安藤坂の萩の舎(一葉が14歳から没するまで通った歌塾)に近いところであった。

明治25年(1892)5月には、この路地の反対側の外道に面したところ(菊坂町69番地)に移った。

ここでの2年11ヶ月(18〜21歳)の一葉は、母と妹の3人家族の戸主として、他人の洗濯や針仕事で生計を立てた。おそらく、ここにある掘り抜き井戸の水を汲んで使ったと思われる。

きびしい生活の中で、萩の舎の歌作、それに必要な古歌や古典の研究をし、上野の図書館にも通い続けた。そして、萩の舎での姉弟子田辺花圃の影響で、小説家として立つ決意をかため、半井桃水に小説の手ほどきを受けた。

明治25年(1892)3月「武蔵野」創刊号に小説「闇桜」が掲載された。また、小説と共に貴重な日記はここに住んだ明治24年(1891)4月1日から書き始められている。いわば、ここは一葉文学発祥の地と考えられる。菊坂上通りに、一葉や母のよく通った質屋が今もあり、その土蔵は一葉当時のものである。

--郷土愛をはぐくむ文化財--
文京区教育委員会    平成12年3月

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