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徒歩記 1 「本郷菊坂路地めぐり」
        The Amazing Maze
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菊坂沿いの店屋や町工場、民家、アパートは、何軒かごとに路地へ降りる階段で区切られている。ゆったり中央に手すりがあるのも、人一人抜けるのがやっとの狭い段々もある。何気なく私が下り始めた階段の中途に、「大祭」のポスター類を張り出した町内掲示板と並んで、街のそこここで見かける史跡プレートが立っていた。近寄ってみると、「宮沢賢治旧居跡」とあった。説明によれば賢治は大正10年(1921年)1月から8月までここに下宿したとのこと。本郷通りの「文信社」で印刷工をしながら日蓮宗の布教に励み、童話・詩作を行っていたという。あの『ドングリと山猫』が執筆されたのもこの地であったらしい。(そういえば本郷通りには「山猫軒」という料理店がある。注文の多い店かどうか知らないけれど。)滞在僅か一年にも満たず、夏の盛りに若い作家は妹重篤の知らせを受けて菊坂を離れた。プレートの説明によればその頃も彼はジャガイモと野菜ばかり食べていたようだ。

菊坂は決して賑やかな通りではない。いわゆる商店街ですらない。雑多な町屋が軒を並べる。これを一筋南へ下ると車一台が通れるほどの路地とはいえ、車はおろか自転車とも人とも滅多にすれ違わない。それでもそこはまだ「表路地」と言うべきで、さらに細い人道が好き勝手な方向へ幾筋ものびている。迷路のようでもあり、慣れた人には便利な近道がいくらもありそうだ。そういう脇道が誘う。道はすぐ曲がっているから、先が見えない。見えないと余計その先が気になる。私はふらふらと裏路地へ迷い込んだ。

ある路地には敷地いっぱいにゴミ袋を積み上げた家があり、風鈴の下がる窓もあり、古びた防火用水入れには雑草が茂っていた。たくさんの人の住まいが詰まっているにしてはどこもひっそりとしている。菊坂を背にしてしばらく行くと広く急な階段に出た。これが「炭団坂」だった。後ろ姿が一つゆらゆらと上っていく。またしても寄り道して私も段々を上る。途中、二度も三度も踊り場が設けられ、一気に駆け上がるのは容易ではない長い急な坂だ。その分上り詰めると風景は一変する。直前までうろついていた路地はかき消え、広い眺望が開けた。高い木の梢も、建築中のビルの鉄骨やクレーンも、色とりどりの屋根瓦も一望の下。長泉寺山門からの眺めとは視界の広さが全く違う、劇的な風景の変化だった。炭団坂の上には「坪内逍遙旧居・常磐会跡」の立て札があった。

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