| 初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2025年 12月3日 |
散策思索 49 「錦秋を追って」 |
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散策思索49 北田敬子 毎年師走の声を聴くと、その年に起こった出来事や出会った人々の顔、そして果たせなかった願いなどが次々に思い出される。何より、母を見送ったのも今年だった。ただ、本人の希望で遺体を「献体」に送り出したため、未だに葬儀も埋葬も行っていないという宙ぶらりんな状態が続いている。大学の解剖学教室での実習を終えなくては、遺骨は家族の元へ戻らない。時折、「母の魂はどこへ行ったのだろう、浄土へは辿り着けず恐ろしいところを彷徨っているのではなかろうか」などと滅相もない想念に捕らわれることもある。だが、母が本望を遂げ、医学生の勉学にその身を差し出したのだと思えば、案外母は「これで良し」と納得して此岸を離れたのかもしれない。 父を見送った後、晩年の母はよく旅をしていた。元気な頃は一人で計画を立て、北へ南へと単身で出かけたものだ。父と行った旅先を再訪することも多かった。そのうち旅行会社の販売するツアーを利用し始め、見知らぬ人たちとバスであちこちへ行っていたようだ。弟妹たちと母の遺品整理をしていたら、各地の観光名所のパンフレットがたくさん出てきた。取っておいても仕方がないと、私たちは思い切ってほぼすべて処分した。母は、後から振り返る縁にためておいたのだろう。絵葉書や写真などもザクザク掘り出すところとなった。家族の知らない人たちがたくさん映っていた。旅をすることで母は若いころ果たせなかった夢を叶えていたのかもしれないし、巣立った子どもたちを追いかけるより自分の興味や好奇心を大切に生きていたのかもしれない。何故その母を誘って一緒に旅行しなかったのだろうと、私は軽い罪の意識に捕らわれる瞬間もあった。だが、現実的には私にも仕事があり、自分の家族(とりわけ年老いた義母や病んだ夫など)の傍で暮らすという疎かにできない事情がいくつもあった。母には好きなことをして元気に暮らしていてもらえればそれで充分という、おそらくは甘えもあったに違いない。もしかすると母はたまには娘と旅行したかったかもしれないのに。 そんな母の遺品との無言の対話を重ねていた頃、私は友人たちから旅行に行かないかと誘いを受けた。時折声をかけてくれる有難い友人たちだ。既に函館や伊豆へ一緒に行ったことがある。大仰な目的があるわけでなく、温泉に入って美味しいものを食べて来ようといういかにも「大人の休日」という悠長な旅だ。以前の私にはそんな旅行をする気概も余裕もなかった。旅行するなら、いつも時間とお金をかけるそれなりの理屈が必要だった。しかし、何時しか私はこの友人たちのことを「旅の仲間」と呼び、誘われたら四の五の言わずに計画に乗ってみようと思うようになっていた。節約第一で暮らしていた母が、晩年になって旅行を楽しみにしていた轍を自分も踏むことに抵抗がなくなったのだろう。 かくて、この度は仙台を目指した。同行者の女性二人は大学時代の同窓会に出席するという。そのうちの一人は夫君を伴って来る。彼が女三人を乗せてレンタカーを運転してくれる。第一日目、女性たちは同窓会。夫君は気ままな仙台散策。私は一人で上野から新幹線に乗り昼過ぎに仙台に到着するところまでは決めていたが、夜半に彼らと合流するまでどうするかは未定だった。仙台の街に興味はあったものの、それより一足伸ばして松島を再訪したいと思ってもいた。四半世紀前に夫と子供の三人で仙台から松島を経て気仙沼へ行ったことがある。その時は松島湾で観光船に乗り、カモメにエビセンを与えながら湾内を遊覧したのだった。その航路を辿ってみたいという思いもかすかにはあったものの、あの時行けなかった場所を訪れてみたいという願いも抑えがたかった。橋を渡って島に行けそうなのを横目で見ながら通り過ぎたこと、国寶・瑞巌寺にも寄れなかったことが思い出される。一人だと行きたいところへ行く自由がある。何を観ても一人という寂しさは如何ともしがたいけれど、流石に単独行には慣れた。 仙石線を松島海岸で降りて最初にしたのは食堂に入って「はらこめし」を食べること。イクラのどっさり乗った丼を抱える至福を味わった。満腹して海岸に出ると、早速遊覧船の呼び込みに引っかかり、仁王丸なる船のチケットを買う羽目になった。出航まで一時間あるというので、いよいよあの赤い橋を渡って「福浦島」へ行ける。200円の通行料を払って島へ入ると散策路が整備されていて、湾内の島々を遥かに見晴らしながらズンズン歩くのが楽しくて仕方なかった。凪いだ海に小島が拡がる。そのうち一時間は瞬く間に過ぎ、仁王丸は出航してしまった。無駄になった切符を手にやれやれと思いながら、どうせ一人、誰憚ることもないと自分に言い聞かせ、島から陸に戻って瑞巌寺を目指した。 仙台に帰り着いたのは夕闇迫る頃だった。四人で投宿する駅近くのビジネスホテルを捜し歩いてチェックイン後に、今度は夕飯の算段。賑やかなアーケード街へ出て見るとそこにもここにも牛タンを食べさせる店がある。またしても一人飯。最近は「女お一人様」にも世間の目はやさしい。実に旨い肉、一人前を堪能した。ホテルへ戻り、大浴場でひと風呂浴びていると、クラス会を終えた女性二人組に再会。そこからはめでたく仲間と合流しての旅を続けることとなった。もちろん久々の一日一人旅の味わいは格別だった。 翌日は四人でレンタカーに乗り、蔵王へ。山道は正に錦秋の候。スキー場のゲレンデは整備の真っ最中ながらロープウェイは運航していて、山頂が冠雪しているのも見晴らせた。晴天の下、紅葉・黄葉が織り成す木々の葉の鮮やかさは、山の幸そのものだった。松島での海の景観、蔵王での山の景観、いずれも晩秋の贈り物としか言えない。私もいつしか母の歳になり、美しいものを見て歩く旅をしても良いのだと思えるようになってきたらしい。母の遺骨が戻ってきたら、今度こそ弔いの務めを果たさなくては。何でも自分でやってごらんと背中を押してくれた母を私は忘れない。旅する母も忘れない。 【補足】 ※下はスマホ向けのページです。但し、私のページ作成技術が伴わないため、スマホでご覧になる場合は、指で画面サイズに拡大してください。ご面倒で申し訳ありません。 |
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