風のたより


5. 梅雨の終わりに

難しいこと望んじゃいない
ありえないこと望んじゃいないのに
風は強く波は高く 闇は深く星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は木の葉のように

中島みゆき 「二隻の舟」

今年は雨がよく降ります。晴れ間が出るとやけに暑くて、湿度が身も心も萎えさせるようです。そんなときには仕事もうまくいかない、友人とはぶつかる、体調も芳しくない、あちらでもこちらでもストレスがたまる話ばかり・・・考えあぐねて結局ノートを開きます。よしなしごとを書き付けるために。

私には書くことくらいしかストレス発散の方法がありません。それを人に 読んでくれと押しつけたら、更にまた一人二人の貴重な友人が去ることでしょう。 どのようにしようが取り戻せないものがあるなら、認めなくては。幻影を 追い求めても甲斐は無いことくらいとうに分かってはいるのです。リアリストに戻ろうと思って書くのに、結局出てくるものは過剰な思い入れと思い込みばかり。そんなことばを見て、ぎょっとします。これが友人を失う元凶であったのかと。

「ことばはナイフ。」

黙ってツーカーと分かり合っていられれば楽なのでしょうか。しかし別の人はこうも言います。

「日本人はまともに話をしなさすぎる。ことばで表現しなさすぎる。ことばをすぐに自分に引きつけて曲解し、発言の真意をそのまま認めようとしないから、コミュニケーションなど成立のしようがない。そして反応が遅い。何故事実だけを話し、そのことに対して率直に応答しようとしないのだろう。普段からものを考えていたら、どのようなことにもなにがしか言うべきことがあるはずなのに」と。

確かにことばは面倒なものです。けれど「たかがことば」に癒されることがあるのも確かです。ほんの稀に人とことばが通じたと思うときに望外の喜びを感じるのは私だけでしょうか。E-mailが頻繁に人と人の間を行き来するようになった今日、得られるもの、失うものの収支決算を出すのは未だ時期尚早でしょうね。自戒を込めて「意思疎通」について振り返ります。


他愛なきことば交わして幾通が
            ライン来たれり数えずにおけ

浪費家と言われむほどにCDを
            買い集めたり物思うまま

けたたましラジオトークがこぼしたる
            その花の名はハイドランジア

幾百のメール交わせど縮まらぬ
            距離保ちたる平和ありしか

「叫べども あがけども」とは歌詞なりき
            借りて書きなむ虚無抱く我

半日の命保てり風船は
         夏空に散る期待のごとく

Eメールはがき程度のものという
            はがきの山を突き崩す今

秋葉原群衆の意気熱き街
         鳥瞰すれば集積回路

CGIマニュアル通り設定し
         自ら送ることば寂しき

白く燃ゆ怒りの如きものありて
         我が身に向かふ刃の光

Logを見るwwwサーバの内側に
         訪ねし人はロボットなりき

喜びて開けたメールの数行に
         断罪さるる我が文見たり

非情なるデジタル回線速ければ
         即座に返ることばの抜き身

潤いも情緒も失せてモニターに
         拒絶の意志の無機質な文字

PCは personal communicationを
              疎ましとなす機械なりしか

幾たりに同報メール送信す
           返ることばの無きを覚悟で

新しきデジタルカメラ笑顔無く
           腕組みしたる人を写しぬ

長梅雨に苛立ちおりぬ人は皆
           都会のビルに幽閉されて

暑気払い団扇使いて鳥鍋を
           つつく湯島の宵もふけたり

創設の鋭気何処に求むべし
           パソコン並ぶ部屋は有れども

友とさへ越え難き溝に阻まれる
           「意志疎通」なる怪物追うや

ガラス越しうどんを手打つ人ありて
            朝の目礼、祝福の如


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