夏読書/ Summer Reading 2007

夏には手当たり次第読書する。日頃読みたくてもせっぱ詰まった課題に追われて先延ばしにしていたもの、取りかかったらズルズルと引き込まれそうで手を出しかねていたもの、手強そうなので敬遠していたもの等々、「積ん読」の山にアタックする好機である。さらに新聞・雑誌の書評欄でチェックしておいたもの、本屋で衝動買いしたもの、友人・知人から拝借・頂戴したものを繙く。毎日何かしら読んでいるのだが元来の健忘症は昂じる一方のため、なにがしかの備忘録が要る。前々から恐れつつも憧れていた「読書日記」なるものをこの折りに試してみようとて、乱読が身上。さて、何が飛び出しますやら。気の向くまま書きますので、長短に極端な落差があるのはどうかご容赦下さい。
 

August 2007

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8/31/2007 映画『かもめ食堂』
8/12/07 『残虐記』
8/11/07『東京湾景』
8/05/07 『東京タワー/オカンとボクと時々、オトン』
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

August 31, 2007

映画DVD 『かもめ食堂』ruokala lokk鑑賞記

この前日本に住んでいるフィンランド人のAtsoさんからメールが届いた。「ごぶさたしています、元気ですか」というようなやりとりだったが、返事にふと「Atsoさん、『かもめ食堂』という映画をご覧になりましたか。私は未だ見ていないのですが、とてもよい映画らしいです」と書いてみた。Atsoさんからは「聞いたことはあるけれど、見ていません。なかなか映画に行くことができなくて」とまた返信があった。それからそのメールには日本人の奥さんがフィンランドの肉団子料理を作るのがうまいことやフィンランドから有名な料理人が来日したとき案内や通訳をしたことなども書いてあった。Atsoさんなら『かもめ食堂』を気に入るのではないかなと思った。自分で見たこともないのにそんなことを思うのは変だから早く見てみたいと思っていた矢先、HMVでDVDを見つけた。それで早速買い、二度も見てしまった。

サチエ(小林聡美)がいい。ミドリ(片桐はいり)もとてもよい。マサコ(もたいまさこ)は凄い。先ずこの三人が互いから適正な距離を保ちながら、それぞれ強烈な個性を閃かせているところに引き込まれた。何より言葉遣いが端正なのである。それは現実にこの国から失われつつある美質としか言いようのない、物言いに貫かれている。無理にそうしているのではなく、互いを尊重し合うところから、互いに侵入し合うのを避けるところから、そして互いをいたわり合う思いから自然に出てくる心構えそのものとしての丁寧語なのである。そういう意味では、この映画で使われている少し古めかしいくらいの言葉遣いがフィンランドの人たちに分かるかしらという疑問や、外国語の字幕になったらどう扱われるのだろうという心配(あるいは好奇心)が私の中でうごめく。もしこれが所謂タメクチで交わされる会話だったら、こんな深々とした味わいの映画にはならなかっただろう。もしかしたらここで使われているのは「昭和語」なのかも知れない。

食堂経営の話ではあるのだが、夢のような話でもある。資金はどうしたとか、厳寒の候が来たらどうするのだろうとか、客が来ない日々に余った食材はどうしていたのだろうとか、つまらない疑問もいろいろ湧いてくるのだけれど、そんな愚問をサラリとかわす潔さに満ちている。途中参入した客分のミドリが「観光案内に宣伝をのせたらどうか」とか、「フィンランドの食材(トナカイ、ニシン、ザリガニ)入りのおにぎりを作ってみたら受けるのではないでしょうか」などと提案するのを、サチエが(おにぎりに関しては一応試してみた上で)「いいんです、真面目にやっていれば、きっとうまくいきます」と動じず、普通の食堂を営み続けるという一本気なところが、何ともあっぱれである。何故日本人女性がフィンランドくんだりで和食の食堂を開くのかという誰もが聞きたくなる疑問に、「日本でなくともいいかな、と思って」とか「ここの人たちなら分かってくれるんじゃないかと思って」と言う答は期待する説明になっていないようにも思えるが、案外それ以上の答えもないような気もする。「日本人が」「女性が」と拘りすぎていたな、と。考えてみれば、日本には実に様々な多国籍料理の店があるではないか。誰もいちいち疑問を持たずに旺盛な食欲でどんな国の料理も食しているではないか。それが逆の設定だったら「あり得ない」というのも変な話だ。お互いに鮭の好きな国民同士、分かり合えるのではないかという「その場で思いついた理屈」が、結構説得力を持つ。

この映画の手法は決してリアリズムではない。場面はいかにもありふれた食堂の場面と、サチエの住居とヘルシンキの街と、サチエが泳ぐ屋内プール程度なのであるが、淡々としたその組み合わせがいつの間にか物語を産み、この映画に不思議な奥行きを与える。最大の展開は、最初一人も客の来なかった食堂がある日遂に満席となると言うサクセスストーリーであるかも知れない。だが、その縦糸に絡む横糸が怪しくも奇妙で不可思議ですらある。そもそもミドリがフィンランドに来た理由もハッキリとは語られない。目をつぶって指さしたところがフィンランドだったから来てしまったというこれまた理由にならない理由が、妙に説得力を持つ。「ガッチャマン」のテーマソングを全部知っていて、ムーミンの登場人物たちの事情に詳しく、サチエの潔さに心酔しているミドリは、女としては丈高く風貌厳つく行動的でありながら、情にもろい。サチエがふと漏らした身の上話に必死で涙をこらえる形相はいびつで滑稽だ。この映画中最大のコミックリリーフを引き受けている。彼女の飾らない発言は、凡庸な人間が誰しも抱く感慨であり、疑問でもある。たとえば、「フィンランドにも悲しい人はいるんですね」と呟いて、サチエに「どこだって悲しい人は悲しいし、寂しい人は寂しいんです」と断言される。そう、フィンランドはゆったりしたユートピアではないと、はっきりこの映画はとらえている。

だから、フィンランド人の二人の主要人物と、脇役ながら出ずっぱりの青年のいずれも孤独でどこか寂しい。「かもめ食堂」の元の持ち主の男は美味しいコーヒーの入れ方をサチエに指南した後、置き忘れていたコーヒー焙煎機をこっそり取りに入って合気道の心得があるサチエにねじ伏せられる。聞けば店を失った後妻子とも別れたらしい。何度も食堂を陰気な顔で外から眺めていた女は、亭主に家出されひどい鬱状態に陥っている。(これが藁人形の呪術で回復するところが振るっている。)日本かぶれのオタク青年にはどうやら友達がいないらしい。そんな人物たちを「かもめ食堂」は肩肘張らず、受け入れて、居心地のいい座席を用意している。

人々がピンチに陥ったときサチエの繰り出す必殺技は、「お腹が空いた。」の一言で美味しい料理やコーヒーを提供すること。その中心にあるのが「おにぎり」だ。鮭とおかかと梅の素朴なおにぎり。マサコの荷物が出てこなくて、何日も何日もさまよう間に衆目の集まる中、「おにぎり」で元気を付けるところは本当に旨そうだし、泥棒騒動の後和解の場を作るのも「おにぎり」だ。「おにぎりは日本のソウル・フードですから」というサチエのセリフに思わず頷いてしまう。「ソウル・フード」なんて格好いいことばがあったことも知らなかったけれど。

マサコの存在はこの映画にシュールリアルなテイストを加えて圧巻だ。「荷物が来ない」というのは『ゴドーを待ちながら』を彷彿とさせるし、森のキノコ狩り、波止場の男から猫を預かるところも他の場面とは異なる位相に属している。遂に出てきたトランクの中は光るキノコでいっぱいだったという場面は、その後なんの説明もないが恐ろしくも不可思議なこの世とあの世の境界を示唆する。「森」がフィンランド人のゆとりを生むのだと、青年は説明した。しかし、森とはなんなのか。日本にも山や森ならいくらでもあるはずなのに、いつしか人の暮らしから森は遠ざかってしまったらしい。恐ろしいところだけれど、深く人を慰藉する場所でもある森。フィンランドの人々からそれを教わる日本人。

いろいろな理屈はともかく、食堂の物語の主役はやはり料理だ。サチエが一手に引き受ける料理場面は、カツや唐揚げ、豚肉ショウガ焼きや鮭の切り身のあぶり焼きなど、普通の食堂メニューながら、実に旨そうだ。シナモンロールも出てくる。フィンランド人のお客を先ず惹きつけたのはこのシナモンロールだったことを思うと、軽視出来ない。いつもは非難がましい目で遠巻きに眺めていた、うるさ型の初老の女性たちを遂に店内に呼び寄せたのはシナモンロールの焼き上がる匂いだった。サチエか実に丁寧に魚を焼き、パンも焼く。器に盛りつける手際も鮮やかだ。特別な料理ではなくてもきちんと作れば何より美味しいご馳走になることをしっかりと描いた映画なのである。

人々の運命は断片が示されるだけで、誰一人ハッピーエンドを迎えるわけではない。(藁人形が功を奏したか、家出した夫が戻った女は見違えるほど身綺麗になって登場するが。)満席の「かもめ食堂」ではティーンエイジャーがおにぎりにかぶりついている。国籍不問の食べるシーンが祝祭的雰囲気を盛り上げる。人間は変わらずにいられないと看破し、生きるにはみんな何かしら食べなくちゃいけないのだとも看破して、サチエの「食堂経営」は取りあえず軌道にのった。

そこまで見届けるともう映画は終わる。物語にこれでお終いはないのが分かっているのに。サチエはこれからどうなるのか、ミドリはいつまで食堂を手伝うのか、マサコは預かった猫をどうするのか、心配すればきりがない。だが、ハッキリしているのは、きっといつでもサチエはしっかり料理を作っているだろう事。人生の基本は毎日ごはんを食べること。人はどこへ行っても食べて、生きていくのだということ。あなたも、私も。

だからどうだというわけではない。フィンランドである必要もないのかも知れない。でも、ヘルシンキにこんな食堂があったらいいなと思わせる、静かで気持ちのよい映画だった。後味がよいというのはこういう事を言うのだろう。ごちそうさま。これからAtsoさん夫妻にこのDVDを送ることにしよう。

原作 群ようこ(幻冬舎刊) 脚本・監督 荻上直子 VAP Video
『かもめ食堂』オフィシャルサイト

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August 12, 2007

桐野夏生

『残虐記』 (新潮社 2004)

初めて読んだ桐野作品はOUTの英訳版だった。主婦たちの弁当工場での深夜労働、殺人、死体処理作業、バラバラ死体遺棄のプロセス、外国人労働者、サラ金業者などが複雑に絡まり合って、陰惨で驚異的な状況が次々に描かれる。ストーリー自体も凄まじかったが、物語の展開する舞台が東京西郊の新興住宅地であることに深い衝撃を受けた。たとえば小金井公園のゴミ箱に刻まれた遺体入りのゴミ袋が投棄される場面など、情景がハッキリと立ち上がってきて胸苦しいほどだった。どうという特徴もない郊外住宅地の平凡な家屋の風呂場が死体切断場所に選ばれ、周りの誰にも気付かれることがないという状況設定には慄然としながら、あり得る、十分可能性がある、と納得したものだ。作品発表当時、作家が自ら深夜の弁当工場で労働体験をしてきたと報じる新聞記事を読み、その後しばらくコンビニ弁当を食べたくなかった。桐野の、底知れぬ暗闇を描く力量に驚愕しかつ魅了された。英語版はとても分かりやすい。これは言語の別を問わず多数の読者を得るだろうと確信した。

以来、いくつかの桐野作品を読み継いできた。昨今、『魂萌え!』や『メタボラ』などの新聞小説でさらに広範な読者を獲得し、ある意味では時代の先端を突っ走る作家となった桐野。近頃広告に「キリノワールド」なる惹句を見つけた時には、うまいなと思いながらもそう固定的な表現でくくってよいのかと首を傾げもした。その旺盛な創作活動には舌を巻く。先日店頭で出たばかりの文庫版『残虐記』を手に取った時、読みたい気持ちと、またあのダークサイドへの旅が始まるのかという鬱陶しさに私は一瞬躊躇した。読み始めれば止められなくなるのは明白だった。このカンカン照りの真夏日に、桐野を読んで過ごすのもどうかと迷ったものだ。が、抵抗出来ない誘惑に絡め取られて結局一日の大半を私は『残虐記』に捧げた。

『残虐記』には、誘拐され一年余りを犯人のアパートに監禁されて暮らした、小学四年生だった女の子が、長じて小説家となり事件を振り返る作品を書くという中心部分がある。それと同時にその作品を書いた小説家は失踪し、かつて事件に検事として関わっていた男がその小説家の夫となって、作家が残した作品を編集者に送りがてらその事件に関する自らの分析と解釈を手紙に書き記す、という構造を外枠に持っている。問題は「真実」ではなく、「真実」をめぐる人間の想像力なのだと幾度か繰り返されることで、『残虐記』は猟奇的な事件そのものの顛末を描くことに重心があるのではなく、「犯罪者」と呼ばれる誘拐監禁者の阿倍川健治と、「被害者」となった少女・小説家生方(北村)景子(小海鳴海)の関係、彼女と事件を執拗に追う宮坂検事こと生方淳朗と景子の関係、景子の離婚した両親との関係などが重層的に回顧される。本当に起こったことは何だったのかと微細に記憶を検証する一方で、その背後にあったものは何かという問いかけに全編貫かれていると言ってよいだろう。その推理の原動力になるものが人間の「想像力」としてくり返し立ち現れてくるのである。

主人公たちだけではなく、事件に群がる世間の好奇心や非難・偏見も「想像力」の過剰、欠如の最たるものとして幾度も言及される。頑なに心を閉ざす少女の内面は大方の大人の想像を超えて、ナイーヴに傷つくひ弱なものなどではなく、醒めた怜悧な意志に支えられたものである。囚われの身になっていた少女の「犯人」との関係性が実はどのようなものであったかは、当人にも分からない。ああかこうかと分析は繰り返されるが、ああでもありこうでもあると幾度も断定は覆される。だから、作品のコアをなすかに見える監禁の回顧場面は、少女に加えられる残虐非道な一方的暴力シーンでありながら、やがて別の光を当てられるとまた異なる様相を呈する。ケンジは極悪人かと言えば、彼も親に捨てられて小学校にも満足に通ったことのない哀れな存在でもあり、ヤタベさんという男に拾われて幼い頃から愛憎の縄で縛られていたことが徐々に明らかになる。囚人と看守の関係の両面性がよく言われるが、少女を監禁したケンジを彼女は恐怖し憎んでいただけではなかったかも知れないと示唆される時、子供じみたケンジとの交換日記のページを破って監禁の場から逃れた少女には、ケンジへの一種の愛情すらありえたとほのめかされる。

事件の核心は判然としない。景子の前に囚われの身となりケンジの部屋で死んで裏庭に埋められた白骨死体の主が誰なのか、想像の述懐に現れるフィリピーノなのか、ケンジの愛玩対象に付けられる「みっちゃん」という名前の真の由来は何なのか、ケンジを支配しやがて背かれた末に姿をくらます(聾者)ヤタベさんは何者なのか、最後まで確固たる解答のでない謎が残る。いや、最大の謎はフレームワークとして最初に掲げられる小説家の失踪だろう。無期懲役の判決を受けて22年服役した後保釈されて半分社会復帰したケンジから、ファンレターに紛れ込んで景子の元に届いた手紙が、失踪の引き金を引いたのはほぼ間違いない。想像の世界で完結したかに見えた誘拐監禁事件は、当事者の中で未完の物語として進行していくのかも知れないし、そうではないのかも知れない。いずれにしろ、物語の表舞台から、景子は既に姿を消してしまっている。その後は読者に委ねられていると言ってよいだろう。読者の想像力が働き始めるのか、それとも停止して物語の発展を許さないのか、それはここの読者次第という訳だ。

それにしても、小説家桐野の果たす役割について考えざるを得ない。7年ほど前に発覚した新潟県柏崎市の男が少女を9年間も自室に監禁していた事件。世間は震撼し、同時に好奇の目を向けた。犯人は凶暴なひきこもりと報じられ、同じ家にいて息子に仕えていた母親が監禁に気付かぬわけがあろうかと、非難の目はその母親にも向けられた。だが、発見された少女は厚い保護壁の奥へ姿を消し、誰も事件の真相を知ることはできない。『残虐記』がそれに触発されて書かれたものであることは桐野も認めている。設定こそすっかり変わっているものの、桐野はこのような事件の奥にあったかも知れない当事者たちの関係性へ独自の想像を広げて作品にした。そもそもひとつきりの真実など存在しないというところから出発し、内面に沈殿する記憶から被害者・加害者ともに解放されることの困難が語られる。

克服するとか、乗り越えていくとか、格好の良い結論がないところに『残虐記』のリアリティーがあると、私は感じる。そのことは少女監禁というひとつの事件に限るものではなく、この世のあらゆる残虐行為について当てはまることではないかとも。救いはないのかと、誰しも天を振り仰ぎたくなる。子供同士のいじめから、民族間の集団殲滅行為まで、現代に尾を引く人類独自の残虐行為を一刀両断にすることができないように、小説家にあるケースへの解決を与える権能はない。ほんの僅か示唆された監禁時の加害者と被害者間に通ったかも知れない親和性は、その状況を生き延びていくための本能ではないのか。作家がそれを希有な心情として是認しているとは思えない。極限の状態にさえ人は慣れ、順応するという部分をむしろ思い出したい。少女も、フィリピーノも、そのような心境に陥ることで呼吸し続け、解放の到来に備えたのだろう。それは歴史に刻まれた、幾多の残虐行為の場で行われた保身術ではないかと思う。少女がケンジを支配しする瞬間もあったと想像力は語る。もしかすると最終的な解放はケンジ自身が行ったものであるかも知れないとも。犯罪の奥に働く人間のこころの不思議を、『残虐記』は「想像してみせる」のである。マスコミから与えられる皮相な事実関係だけを手懸かりに推測したり噂したりしながら、事件を消費して恥じない人々に対する、これはアンチテーゼでもあろう。

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August 11, 2007

吉田修一

『東京湾景』 (新潮社 2005)

若者たちの恋物語である。正直なところ胸に迫る部分は殆どなかった。小説の手法が悪い訳でも文体がまずい訳でもない。「このシチュエーションで恋愛か?」とあっけにとられた私の感覚の方が現代小説の通常の感覚からずれているだけなのではないかと思う。文庫版の解説では絶賛されている。先年テレビドラマ化され、主役を仲間由紀恵が演じたとかでトレンディーな作品だったのだろう。野暮なことを言うくらいなら読まなければいいのだ。

何故読んだかの言い訳を書く。昨年朝日新聞の夕刊にのった吉田修一の連載小説『悪人』が非常に面白かった。独特のグロテスクさをもつ束芋の挿絵が、小説の底知れぬ暗さと情念を深めていく役割を果たし、絵と字の両方に最初から最後まで惹きつけられたという経験がある。これが最近単行本になって書店に並んでいる。もう一度手にとって一気に読みたいという気持ちが疼く。いずれ読むと思う。が、その前に同じ作者の別作品を読んでみたいと思った。あのように切迫した悲痛な、しかし不思議な透明感をたたえた作品を書く人が、他にどんなものを書いてきたのか是非知りたい、できれば再度『悪人』で経験した緊張感とスリルを味わってみたいと思った。『悪人』における吉田の無駄のない鋭い文章はそのおどろおどろしい内容とは別に、混沌を切り裂く鋭利な刃物のように読み手の心に刺さる。恐怖と快感が同時に押し寄せてくる。

二つの作品に奇妙な一致はいくつかあった。主人公の二人、亮介と涼子(本名、美緒)がケータイの出会い系サイトで知り合うところは、そっくりと言える。こんな同工異曲が通用するのだろうかと最初は危ぶんだ。男が無口で直情的で、肉体労働を生業とするところ。女が自分の居場所にミスフィットしているという強い自覚を持っているところ、など。長々しい恋のプロセスを一気に取り払う装置が出会い系サイトなのだろうとは思う。ほんの僅かの紆余曲折はあるにしろ、結びついたら一切合切夾雑物を捨てて二人だけの関係に惑溺していくところは両作品共に共通するところだ。その必然性を疑ったら、もうこの手の小説を読む資格はないのだろう。

『悪人』の方にはまっしぐらに犯罪へ突き進む動機、それを償うかのように始まるもう一つの出会いへの衝動が息もつかせぬ展開で繰り出され、読み手を一気に渦中へと引きずり込む力が働いている。だが、『東京湾景』には若さが持っている勢いは充分に溢れているものの、社会性に乏しいからなのか、登場人物たちの心がいかにも薄い。若くて健康な美男美女が惹かれ合うことにそんなドラマがあるだろうか。さすがに『世界の中心で愛を叫ぶ』ほどに臆面もないラブストーリーではないとはいえ、近いものはある。

ただ、私が興味を持ったのは『東京湾景』という設定である。東京湾の入り口にある二点をレインボーブリッジがつなぎ、お台場と品川埠頭を相対峙する二つの岸辺にしたところ。お台場の情景と品川の倉庫街の情景は、それぞれ砂浜やレジャー施設、ファッショナブルなビル、またコンクリートに固められた無愛想な地区としてよく観察され描写されている。そこに存在するリアリティーだけが確実なものだと言うつもりはないのだが、この二点の「格差」がもっと切実なダイナミズムを生むはずだとは思う。

それにしても、小説内小説という設定が成功しているとは思えない。才能の枯渇した女性作家が材料とストーリーを求めて品川埠頭に出現し、亮介を案内役に倉庫街のルポをしながら彼の恋愛体験をそっくりいただいて雑誌の連載小説にしてしまうなど、トリックというより奇想だ。その小説を読んだ登場人物たちが外から動かされていくとは笑止である。広がりがない。何千、何万という部数を売っているであろう雑誌がただこの物語の主人公たちだけのために機能するという扱いはあまりに自己中心的だ。

亮介に捨てられた真理という女が恨みがましく涼子(本名、美緒)を尾行したり、ガリガリに痩せて飛び出してきたり。それは書き続けられなくなって連載を中断してしまう小説家にも劣らない理不尽な存在である。いずれをも一顧だにしない主人公たちの自己中心ぶりにも不可解さがつきまとう。

いや、不満な点をいくら並べても意味はないだろう。『東京湾景』は多数の読者を得た吉田修一の出世作であることは事実なのだ。その良さを味わえない読者は救いがたい。だが、トレンディーな地区にトレンディーな装置(ケータイ)を配して男と女を揃えたら、それで何かが動くのか。もしそうなら、東京という舞台は何とも浅薄な無機的な場所ではないだろうか。『悪人』に描かれる佐賀や福岡の、地霊のごとき人間の佇まいに圧倒された読者はついそう漏らさずにいられないのである。

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August 5, 2007

リリー・フランキー著

『東京タワー/オカンとボクと時々、オトン』(扶桑社 2005)

いきなり、ベストセラーから読み始めた。といってもこの作品は発売から既に二年以上たっている。今さらどうしたという感じもするのだが、ずっと気になっていた。余りの人気ぶりにどうせ「センタメンタルな感動もの」なんだろうとかなり偏見に凝り固まっていたのも事実だ。映画の宣伝でオダギリ・ジョーと樹木希林が恥ずかしそうな顔して手をつないでいる写真を見ると、「ウヘーッ」とゲップが出そうになっていた。

今回手に取った経緯は、それでもどうやらとても面白いらしいという風評に押されたことと、「東京タワー」がどんな象徴として使われているのか興味があったからだ。映画『Always 三丁目の夕日』(元々はマンガ)といい、この作品といい、東京タワーに何か託すのが流行と見える。ちょっと前までは誰も振り返らなかったのに。タワーはレトロなところが魅力なのだろうと見当を付け、タイトルから入ったという次第。

読み始めるとすぐ「一気読み」の予感に捕らえられ、実際一両日のうちにほぼ500ページを読了。これはチープでイージーな物語ではなかった。力作である。力作ではあるが文芸大作というのとも違う。小説の作法から言えば無駄も多いし、饒舌に過ぎる部分もある。こってりと細部を書いてくれるのは良いのだが、含蓄というものには縁遠い。かと思うと箴言めいたフレーズが随所にちりばめられていて、いやに真面目な感じもする。もちろんライトノベルではない。スッキリと刈り込まれたスマートな純文学ではないけれど、大衆受けだけを看板にするのとも違う。意外や意外というのが率直な読後感である。

これは「成長小説」乃至は「教養小説」(Bildungsroman)であると言っても間違いではない。少なくとも最初から2/3程度には「ボク」の成長が書いてある。これは「母子もの」であるというのもあながち間違いではないだろう。全編これ息子と母親の物語である。「家族小説」というのはどうだろう。イイ線行っている。だってオトンも加えて「変形家族」がどのように維持されたかの物語であることも事実なのだから。そして「東京譚」という側面も確かにある。だが、筑豊及び北九州、別府の圧倒的描写に比べたら東京がなんぼのもんじゃいという感じもする。そしてこれは「ガン」をめぐる考察でもあろう。どれほど多くの人々が家族の「ガン」に苦しみ、かなしみ、闘ってきたことか。今も闘っていることか。何故この作品がかくも人気を博しているのかは、これだけの窓が開いていることからも分かろうというもの。読み手は誰しも「自分と無縁の話ではない」と思うのだ。作者の体験もセンチメントも読者とかなりな部分クロスオーバーする。それを狙って書いたのではなく、書かれたものに最初から備わっていた特性がそのようなものだった。そして文体が読みやすい。気取っていない。さすが直木賞だ。

うるさいほど面倒見のよい「オカン」に無頼の「オトン」、フラフラと行方定まらぬ「ボク」。この家族は貧しくはあるが極貧という訳でもなく、流浪の民のようでいて、親類縁者に囲まれてれっきとしたファミリーの一角をなしている。そのことが歴然としてくるのはオカンが病を得てピンチに陥った時に登場する姉妹たちの結束によく現れている。寡婦となり魚をリヤカーで売り歩いていた「ボク」の祖母は九人も子供を産んで一人きりになる淋しさを何度も強調されているが、一方無一物で世間に放り出されて悲惨の極みを生きてきたはずの「オカン」が、冥土のみやげに姉妹たちとハワイ旅行に繰り出す様は、根本的にこの物語の悲劇性より喜劇性を際立たせている。涙より笑いだ。それがこの作品の真骨頂だろう。

母の筑豊と父の小倉を行き来する「ボク」は、立派な「昭和の子供時代」を過ごす。そこに活写される風俗は、既に様々にメディアで繰り返された昭和の原型をしっかり守っている。つまり目新しいことはたいしてないのだけれど、「そうかー、やっぱりキミもそうだったかー」と読み手を唸らせ、頷かせるリアリティーとコミカルなディテールに満ちている。寂れていく炭坑町の悲哀は「ボク」の背景ではあるけれど、「ボク」の死活問題ではない。元々彼は余所者なのだ。トロッコに乗って九死に一生を得る悪ガキどものエピソードは、すれすれのところで救われる安心に支えられて、読者の肝をほどよく冷やす。祖母をその町に置き去りにして出ていく世代が主人公なのだから。筑豊から見れば、小倉は大都会である。ゲームセンターの規模でそれを表現するところが愉快なリアリティーを生む。九州弁のフレーバーが効いている。母と息子の仮住まいは実につましい。だが、「ボク」が高校から別府に下宿すること、そしてやがては東京の大学に出て行くことで自覚的デラシネの道を選ぶからには、そしてそれが可能であるからには、貧しさは「絶対的」なものではない。

「ボク」は九州北部(筑豊・小倉・別府)から東京へ一っ飛びする。着地したのは武蔵野美術大学のある小さな町(小平市の一角)だ。駅(鷹の台)から大学に続く玉川上水を彼はこんな風に描く。

 駅から学校へ続く道は玉川上水に沿っている。昔は玉川上水も清水溢れていたそうだが、水流は著しく減少し、もはやここで入水心中することはできないだろう。
 それでも春、上水沿いの桜並木は本当に美しい。桜花の天井を見上げながら、花びらの絨毯を歩くと、穏やかな気持ちにさせられると同時にものを考える力が沸々と湧いてくる。
 その大学を受験した理由は、武蔵野という名前の響きと、他の美術大学よりも比較的学費が安かったこと以外に理由はないのだが、その小道を歩いていると、ここに来て良かったなと思うことが度々あった。
 田舎の自然とは違った趣がある。自然に恵まれた玉川上水を散歩しても、ボクはそこに都会的な風合いを感じていた。 (p. 162)

これは私自身が長く住んだ町のことなので非常によく分かる。太宰治が入水心中したのはここよりずっと下流の三鷹付近のことだから、同じ玉川上水と言ってもこのあたりは元々さして剣呑な場所ではない。水量は確かに時代の推移と共に激減した。「ボク」が学生になった時(1985年頃)には下水処理水を流すことによって「清流復活」していたはずだから、一番少ない頃ではない。彼が豊富な自然の中にも都会的なものを感じたのは、それが守られ保存されている「人の手が残す自然」だったからだろう。都会的な風合いというのは自然公園の味わいである。彼が憧れた国木田独歩の武蔵野は明治の頃の、広範囲に及ぶ地域を指している。だが、武蔵野美術大学界隈の、殊に玉川上水縁の地域には今でも雑木林や田畑が残り、人里と自然がさほど違和感なく混じり合うところである。その独歩は『武蔵野』において町はずれの光景を愛でる理由についてこう述べる。

すなわちこのような町外(まちはず)れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎(いなか)の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹(ほうふく)するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点(とくてん)をいえば、大都会の生活の名残(なごり)と田舎の生活の余波(よは)とがここで落ちあって、緩(ゆる)やかにうずを巻いているようにも思われる。

国木田独歩『武蔵野』(青空文庫版

「ボク」の東京譚が武蔵野の一角から始まる物語となったのは、至極妥当なことだったのではなかろうか。かくて東京の一角に潜り込んだ「ボク」はこれから何度も転居する。転居が東京暮らしの軸であるかのように目まぐるしく、引っ越しが行われる。拾い出してみれば、大学付近の立川のアパート、国分寺のアパート、中野のビルアパート、下北沢のアパート、自由が丘の事務所、都立大の四畳半、三田のワンルームマンション(仕事場)、方南町の一軒家、笹塚の雑居ビル七階の2DK、そして中目黒の三階建ての一軒家。住居を変わるたびに出世するとか運が向くとか上昇気流がわき起こるならサクセスストーリーになるが、「ボク」の引っ越しは追い出されてせっぱ詰まってのものがほとんどである。

冒頭で成長小説と書いたが、実際には「ボク」は見事なまでに成長しない。「ボク」は「オカン」の蓄えを食い尽くし五年かかって大学を卒業した後、イラスト描きに始まってどうやらあらゆる仕事を引き受けたようだが(そしてそれはとりもなおさず作者リリー・フランキーの自伝的事実なのであろうが)、物語は仕事の内容にはほとんど触れない。ただ、いかに無計画で無謀で「バカタレ」な日々が繰り返されたかが語られるばかりで、あくまでもガンにかかり、筑豊での飲食店経営の夢破れ、行く当てのなくなった母親を喧噪の東京に呼び寄せて暮らした、その顛末だけが延々と語られる。定型的な家族ではないオカンとボクと、時々顔を出すオトン。それを取り巻く親類縁者や仕事仲間や、友人たち。ありきたりの家族ではないからこそオープンファミリーよろしく人が出入りし、「オカン」の作るめしを食い、怒濤のごとき日々をゴチャゴチャと生きていく。母親が飛び込んで以来常に祝祭的な雰囲気を醸し出す「ボク」の住居は、やがて「オカン」の闘病で一変する。甲状腺にできたガンを、声帯を温存したまま切除するというアクロバティックな手術で乗り越え小康を得たのも束の間、オカンはスキルス性胃ガンに見舞われる。手術は不可能と宣告され、化学療法を選択するも過酷な副作用に耐えられなくなった「オカン」は東京タワーの足元にある病院で残りの日々を過ごす。

結局、「オカン」の臨終の時にこの家族は再結成された。両手を「ボク」と「オトン」にそれぞれ握られて「オカン」は逝く。「ボク」の嘆きは深い。40過ぎて独り身の男は母の息子であり続けた。「オカン」の死後「オトン」も胃ガンになって手術を受けることになるのだが、こちらの扱いはあっさりしたものだ。かくて「ボク」は東京の人間になった。もう帰るところは他にない。「オカン」を見送った後初めて東京タワーに上った「ボク」が見たものは、墓地としての東京だった。

  「東京タワーの上から東京を眺めるとね、気が付くことがあるのよ。地上にいる時にはあまり気が付かないことなんだけれど、東京にはお墓がいっぱいあるんだなぁって」
 確かに、その通りだった。緑地の中に、ビルの谷間に、墓地が点在していた。地上に暮らす者が気付かず見落とし、忘れていても、実際には近代的なビルの間にも、屍が眠っている。
 そしてボクにはこの街全体、この東京の風景すべてが巨大な墓地に見えた。
 ひしめき合って立ち並ぶ長方形のビル群はひとつひとつが小さな墓石に見える。その大小があっても、ここからはたいした区別がない。
 遥か地平線のむこうまで巨大に拡がる霊園。この街に憧れ、それぞれの故郷から胸をときめかせてやってきた人々。
 この街はそんな人々の夢、希望、悔しさ、かなしみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない。 (pp.444-445)

見上げる東京タワーはいささか陳腐な憧れの象徴だとしても、東京タワーからの眺望は墓場であるという見立てはどうだろう。12,000,000人がひしめき合うメガロポリスで、東京タワーはどんな高層ビルよりも前から、そして全方位の視界でこの巨大な墓場を睥睨し続けてきた。都市の魔力と魅力に惹きつけられた者が少しでもその全体像を見てみたいと思ったら、ここほど視界の効く場所はなかった。いまでこそ超高層ビルが各地に林立しているが、それでも「巨大なはしごが、月に向かってかけられているよう」(p.251)な東京タワーは現在も造形的に異彩を放つ。建設当初より相対的にずっと小さくなったとしても、これから第二東京タワーができたとしても、幾万のビルの墓石を尻目に東京タワーは天に伸びるはしごであり続けるのだろう。

外から東京に入った人々は、外から東京を眺める力を持っている。東京だけが世界であるように思いながらそこに骨を埋めていく人々よりも、突き放した眼差しでこの都市を眺めることができる。東京は原色でも極彩色の町でもなく「本当は、すべての色が濁っている。チューブから出した鮮やかな絵の具で描ける部分はどこにもない。風景も考え方もすべて、パレットの上で油とグレーに混ぜられて、何色とも呼べなくなった色をしているのだ」(p.273)と看破出来る。そんなくすんだ街のただ中で、「オカンとボクと、時々、オトン」がたまさか出会い、家族に戻った。

東京はこの小さな家族の再生と弔いの場となった。拡大再生産されるような家族ではなかったが、東京が人と人を呼び寄せ繋げたことだけは確かだった。離散し崩壊していくものの多い中でこのささやかな功徳の故に、『東京タワー』は東京に一筋の光を投げかけている。

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