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10.「おとうと」を見て

 

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10.「おとうと」を見て

北田敬子

幸田文と岸惠子、この二人の取り合わせがどのような映画に結実するのかぜひ見たいと思った。

たくさん読んだわけではないものの、幸田文の無駄のない引き締まった文章には感嘆してきた。中学生の頃から、あのような文章を書けるようになりたいと密かに思っていた。さりげない行動の所作が丁寧に描かれる。幸田文の表現力の豊かさは、華麗さとは異なる。研ぎ澄まし削り取った先に生み出される芳醇とでも呼ぶべき印象がゆかしい。

俳優としての岸惠子にずっと注目していたわけではない。むしろエッセイなど文章を書くようになってからの方が、颯爽とした行動派の女性として魅力的に思えた。93歳での訃報に接した直後に小説『わりなき恋』を読んだ。70歳を目前に控えた笙子がパリへのフライトで隣り合った(一回りも若い)ビジネスマン兼太と惹かれ合い、濃厚な関係を数年間にわたって結ぶ物語である。

市川崑監督による映画「おとうと」は幸田文の小説に極めて忠実な作品だった。但し、作中で弟にからかわれる姉は決して美人とは言えず、東京の下町ことばを景気よく放つ勝気な娘で、十代後半の設定にしては奇想天外、姉弟で本気で取っ組み合いの喧嘩をするようなはねっかえりである。岸惠子が美貌で選ばれたキャスティングとは思えない。しかしよく見るとどのシーンでも綺麗に眉を描き口紅も引いている。あのつましい生活の中では些か不釣り合いなのではなかろうかと思えてならなかった。

ところが弟がわがまま放題の果てに結核に倒れ、姉が泊まり込みの看護に勤しむようになったとき、彼は姉の高島田姿が見たいと言い出す。最早先のない弟の願いに応えて、彼女は髪を結い上げ、手持ちの最も華やかな着物で病院に行く。わずか数カットのシーンである。だが、あの場面に登場する「姉 げん」は「おとうと 碧郎」の前で最も美しい女性に生まれ変わっていた。岸惠子でなくてはならない配役だった。

1960年に大正時代の物語を映像に起こすことにはどのような目論見があったのだろうか。市川崑監督はその数年後に「東京オリンピック」を撮った。オリンピックに向けて東京が大変貌を遂げていく時期である。映画冒頭の隅田川縁の泥道を含め、碧郎が次々に手を出すモーターボート、乗馬、ビリヤード等々、現代の観客から見れば懐かしい風景ばかりが続く。碧郎が仲間とつるんで万引きをする文具店など、店構えからして歴史的資料になる。四人家族の食卓にしても、昔日の丸い卓袱台。登場人物たちが時代を生きている。大正モダニズムの気配と未だ大戦に翻弄される前の首都の残滓が創り出された。

幸田文の小説は今も街の本屋で売られている。最晩年迄、過去の銀幕の陰に姿を隠さず、小説に映像に姿を出し続けた岸惠子の潔さは「おとうと」をアーカイブの中だけに生息するような作品に留めず「どうぞ、よく見て、よく読んでご覧ください」と言っているようだ。二人の女性たちはこの国の有様を文中に、映像の中に見事に残した。忘れ難い作品だ。

★★★★★

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