A Short Break

休憩雑記帳

Keiko's Scribbling Block

The Latest Update: November 28, 2009

▲Michael Jackson's "THIS IS IT"▼ November 28, 2009

▲描かれて▼ May 2, 2007

▲回遊路にて▼ February 19, 2007

▲読書日記の恐怖▼  Spetember 4, 2006

▲何に書くか、何を書くか▼ September 1, 2006

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▲Michael Jackson's "THIS IS IT"▼ November 28, 2009

A brief review on Michael Jackson’s
THIS IS IT

2009年6月25日の急逝以降、Michael Jacksonにまつわる言説や噂、そして断片的な映像・画像の数々が巷に溢れた。それまでとりわけ彼に関心を払っていなかった人々さえ突如ファンとなり、希有の才能の喪失を惜しんだ。だがMichael Jacksonは、エキセントリックな話題をハイエナのように求める群衆の餌食になって、ここぞとばかり消費され尽くす対象なのだろうか。50回にも上るロンドンでの復活コンサートを目前に、忽然と姿を消したスーパースターを弔うのに相応しい舞台があるのではないかと、無念の思いにとらわれた人も多かったはずだ。そんな折、コンサートのリハーサルフィルムを編集した映画、THIS IS ITが公開された。2週間限定という期限付き(更に2週間延長されることとなった)劇場での上映である。

何人かの若い友人たちが熱心に映画のことを語っていた。どこがどう凄いのか、口を極めて解説するのではなく、映画全体のもっている起爆力と静謐さの共存を仄めかし、いずれも異口同音に「見てほしい。見るべきだ」と言ってやまない。ある女性は、「何かとんでもないものものを見てしまったという気がする」と自身のブログに書いていた。そうか、言葉にならないような衝撃なのかと理解するしかなかったが、伝わるものはあった。仕事を含めた日常生活の塵芥にまみれて身動きとれないはずの私も、「これは見に行くしかない」と思った。そして、見に行って納得した。文字通り、「これぞそのもの」”This is it!”だった。

50歳という年齢がどんなものか、私は知っているつもりだ。(もっと正確に言うと、「覚えている」つもりだ。)男と女では違うかもしれないが、通常の人間なら半世紀も生きるとどう足掻いても心身両面で下り坂にかかる。けれど、ある特殊な才能を磨き続けてきた人々はそこから「匠」(マイスター)の域に入る通過地点かもしれない。おそらく存在そのものが放つ輝きの光源として、若かったときとは異なる影響力を他に及ぼすようにもなる。但し、そのような領域に入るには余程の幸運に恵まれなくてはならない。多くはその直前で力尽きる。異彩を放つ人であればあるほど、「異」の部分に手足を取られる。Michael Jacksonが自分はElvis Presleyと同じような最後を迎えるのではないかと怖れていたと伝えられる。何かが「制御不能」になることへの怖れ。彼はそれをどのように払拭していこうとしていたのか。不本意な沈黙の時代を超えて蘇り、次のステージへと進化するはずだった矢先のブラックアウトは何を物語っているのだろうか。

フルに2時間、スクリーンに釘付けだった。50歳のMichael Jacksonに「円熟」というようなものは無縁だという印象を強く持った。端正な肉体をかくも長きにわたって維持し続ける力はどこから来たのだろう。(クラシックバレエダンサーもこうなのだろうか。)スリムな体型だけのことではない。むしろそのしなやかさ、強靱なバネのような瞬発力、踊り続け歌い続けるエネルギー、そして音楽を創造する発想の豊かさ、いずれの点でも外目には衰えを感じさせない。ただカメラが十分彼に近づいたときだけ、顔面の変化は隠せない。「スリラー」の最後でカメラに向かってニヤリと笑った、あの不適な若者はもうどこにもいない。しかし、それがどうだというのだろう。動き始めると、表情も変わり、見るものは幻惑される。我々は部分を見ない。トータルなモーションとしての、流れる歌声としてのMichaelは我々の記憶の中に生きる精悍な若者以外の何者でもない。

それは演出と共演者たちの功績に追うところが大きいのかもしれない。群舞の中央に居続けるMichaelは誰よりもシャープで、誰よりも力強い。しかし、彼の魅力を最大限に生かす脇の存在も見逃せない。熾烈なオーディションという洗礼をくぐり抜けてきた、真に才能あるダンサーとミュージシャンで固められた出演者たちは、世界各地からこのコンサートに結集した。彼らのインタビューは、カリスマと共演する喜びと興奮にふるえ、些か見ている方が気恥ずかしくなるほどだが、彼らの「幸福」「幸運」と、その後に来た突然のピリオドのもたらす「暗転」の落差を、誰が想像できるだろう。

ソロを任された女性ギタリストに寄り添いながら、「もっと高音で、こう!」「ここは君が輝く場面なんだ」「僕がそばにいるから」と語るMichael。筋骨逞しい男性キーボード奏者に、何度も何度も演奏方法を指示し、納得いくまで試し続けるMichael。3D映像を作り出すコンピュータ画面に見入るMichael。耳の中に挿入するイヤフォンに「こういうのに慣れていないんだ。ずっと生の音を聞きながら歌ってきたから」と戸惑いを示すMichael。ダメ出しをしながら、「怒っているんじゃない。愛しているL-o-v-e, love」と繰り返すMichael。つぶやくように、ささやくように語り、若いダンサーたちを率いて踊るMichael。どの場面をとってもスペクタクルだ。徐々に完成に近づきつつあったリハーサルに、「本番」がなかったというアンチクライマックスこそ、最高のドラマだ。

この映画には葬儀の場面やMichaelの死を悼む関係者たちのインタビューなどは一切加えられていない。あくまでも「当然行われる筈のコンサート」の記録だけが巧みに編集され、納められている。舞台で使う予定だった映像はふんだんにある。けれども往年のヒット曲を「観客が期待する通りに演奏しよう」と指示するMichaelの言葉に、どことなく「遺言の影」を感じるのは私だけではあるまい。人は彼を”King of Pop”と呼ぶ。延々と続く、陶酔を誘うリフレインはポピュラーミュージックの王道を行く。それでも、「完璧な再現」はあり得ない。彼の表情のクロースアップは必ずしも多くない。最も美しいのは遠景だ。名作と言うしかない作品ビデオに親しんだファンたちが、似て非なる「再現」をどう見たか。本当に原作を熟知したファンなら「超越」を感じる部分も必ずあっただろう。だが、最初に見た時のあの新鮮な驚きと「再現」に感じる既視感や懐かしさには、一歩間違えば空しさや物足りなさも生まれていたかもしれない。たとえば、メークアップの最新技術で作り出された「スリラー」のゴーストたち。確かに今回の舞台用の造形は見事だが、オリジナルの荒々しい魅力は失われていたかもしれない。ファンは熱狂したことだろう。でも、オリジナルに勝るものを再現することは不可能な挑戦ではなかったか。

にもかかわらず、人々に愛された曲を並べて「今まで誰も見たことのないショーを創る」という企みは、不可能への挑戦だ。Michaelの直感に突き動かされ、練り上げられていくステージは、ハイテクを駆使し、スタイリッシュな造形美にあふれ、ダンサーたちの超絶的なテクニックを際だたせ、しかもMichaelのステージでの約束事を忠実になぞるという欲張りなものだ。これこそエンターテイメントというサービス精神に充ち満ちた展開。それはほぼ完成に近かった。「コラボ」とはこのようなものかと目の覚めるような共同作業が進行する。

特に印象的だったのは、姿の見えない舞台総監督がMichaelに舞台進行を確認する「声」だ。アメリカ英語特有の気取りのない、しかし敬意に満ちた落ち着いついた「声」。彼は必ず、発言の始めか終わり(あるいは両方)に、”Michael!”という親しげな呼びかけを入れる。噛んで含めるようなものの言い方、極力誤解を避ける平明で簡潔な言葉の選択、主役を常に気遣う包容力のある声音。長年仕事を共にしてきた者同士の肝胆相照らす呼吸。それらは関係者以外が決して目にも耳にもすることのない「舞台裏」の秘め事であったはずのものだ。完成形しか衆目に晒すことをよしとしないアーティストたちの弱みさえ示すバックステージを観客は目撃する。スターに関することなら何でも見たい・知りたいというファンたちにはこたえられない映像だろう。もし生き延びていたら、Michaelはそれを後々公開しただろうか。

いくら仮定を重ねても、本当のところは分からない。確かなのは、「マイケルチーム」に参加した人々が彼に寄せる情熱とプロフェッショナリズムの質の高さだ。不遇の時代を超え、満を持して世に問うファイナルコンサートが新たな「伝説」になったであろうことは間違いない。50回も事故なく敢行できたかどうか、それは誰にも分からないけれども。50歳のMichaelが相変わらずセクシーなアクションで踊り歌う曲に熱狂する現場スタッフの姿は、コンサートに来るはずだった人々の縮図だったと思う。「まるで教会だ。宗教だ」とつぶやく監督の声。コンサートホールを聖堂にして、Michaelは歌い踊った。あれほどの肉体の酷使と集中が人の命に何の影響も及ぼさないはずがない。創造活動とは命と引き替えのものではないのかという思いに胸が締め付けられた。

「四年間で地球を救う」という謎めいた言葉をMichaelはつぶやいていた。人々が一つになるという理想を掲げ、失われた緑豊かな熱帯雨林や希少動物、そして戦火や飢餓に逃げまどう子供たちの悲惨を救えと訴えるMichaelを、「イマジン」の作曲者同様「夢見る人」と嘲ることも出来るだろう。しかし、50年の人生のほぼすべての時間をエンタテインメントの創造に捧げ尽したアーティスト、もしくはアルティザン(職人)にとって、「不可能」はありえない。その「夢見る力」が人々の心にともす火、それを我々は「希望」と呼ぶ。変身に変身を重ね、子供時代のアフロアメリカンの姿を留めない彼は、しかし誰にも真似できないビートを繰り出すとき、紛れもない出自を示していた。それは彼の誇りだったはずだ。THIS IS ITとは、Michael Jacksonの真実を言い置く墓碑銘でなくて何だろう。 

ピーターパンは無事ネバーランドへ帰り着いただろうか。


November 28, 2009 Keiko Kitada

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▲描かれて▼ May 1, 2007

私が何かについて書くことはあっても、私について何かが書かれることはなかった。私には業績もなく、めざましい活動に携わっているわけでもなく、ましてや人の関心を引く特性を身に帯びているわけでもない。ところが私にについて書かれた文章を読む機会を得た。例えば知らないうちに被写体となって自分にピントが合っている写真を見たらこんな感じだろうか。正面を向いたポートレートではなく、無意識の所作を少し離れたところから撮影されたような。初めて手にする「描かれた自分」と対面して、不思議な感興に打たれている。

それはある作家についてオムニバス形式に執筆者たちが考察を寄せるテキストであった。取り上げられているのは、いくつかの受賞歴をもつ中堅の女性作家で私より少し年若い。彼女は高校生の頃、女性の身体性を文章化した処女作によって新人賞を得ていた。私はその作品が出たとたんに文芸誌上ですぐさま読んだ記憶がある。同世代の才能への羨望をかきたてられた。だから作家の名前はずっと覚えていた。新作が出るたびにマークしてはいたが、敢えて購入してまで読もうとしなかったのは、次々に登場してくる幾多の女性作家たちの華々しさに比べて、彼女がどちらかというと落ち着いた地味な印象を与えていたからかと思う。だが、差し出されれば喜んで読む、そういう作家だった。ある時、彼女の短編集を見せてくれる人がいた。「読んだことありますか」と言って示された本を、私は手にとって即座に読み始めたらしい。自分ではそのことをすっかり忘れていた。その時の私の行動が、文章にしたためられているのである。

私がどんな風に作品に反応したかを描写するところからその文章は始まる。批評というより作品の梗概紹介、あるいは短編集をめぐるエッセイといった方が近いだろう。どうやらこのシリーズは、これから日本の「現代女性作家」 を読んでいこうとする人に向けた指南書の役割を担うようだ。なるべく作品への敷居を感じさせないように文章は工夫されている。そんな意図の故か、少しコミカルに誇張されたこの<読む女>は、図々しく独りよがりで、本を見せた人の気持ちにはまったく配慮のない人物になっている。なにしろ「自分が親からもらった玩具を、適当な言い訳をつけて姉にとられてしまったような手持ちぶさたの弟のような口惜しさ」 を執筆者に感じさせたのだから。私はその下りを読んで笑った。これは初めて見る光景ではない。実の弟に対して幾度となく繰り返してきた所行そのものである。「なんと、また!」と 実在の自分は描かれた<読む女>にしかめ面をする。(同じ手口で、近所の子どもからアイスキャンディーを巻き上げて泣かせた場面まで蘇ってきた。)

だが、それに続く文章で<読む女>は私の知らない人物に変貌する。 彼女は「初見の小説にこれほどまでに没頭する姿」を見せ、「さすが、本読みとはこういう人のことをいうのだな」と執筆者を感心させている。それは違う、と実在の自分は思う。借りた以上読んだら何か言わなくてはという切迫感を漂わせていただけだろう。私が人を感心させるほどの集中力を持っているわけもなく、ましてや「本読み」と言われるほどの読書量を誇る人間でもないことくらい先刻承知だ。ここは、執筆者が創作したあらまほしき<読む女>像になっている。批評対象の作品集が人をそれほどに惹きつける魅力的なものであって欲しいという願望が場面をそのように潤色したと言わざるを得ない。半端な読者では面白みが出ない。だが、そういう奇特な<読む女>像を比喩にしても提供したらしいことには、あっけにとられつつ満更でもない気分がする。実物ではなく、写真家の腕がよい場合と同様に。

こんな風にエッセイの中でモデルは「その通りだ」という描写と「そんなわけはない」と抗いたくなる描写をくり返しながら、実像と虚像の間を何度か行き来する。しかし、私が最も当惑し、かつ考え込んでしまったのはそういった外見の描写ではない。作品のモチーフと<読む女>の類似箇所、あるいはパラレルなバックグラウンドを執筆者がいくつも指摘しているところなのだ。論者は<読む女>が作品に深く引き込まれたのは、彼女がそこに自分自身を発見したからと推測する。曰く、花を追ってさまようところ、娘が「雨の匂い」をかぎ分けられるようになったことに誇りとさびしさを感じるところ、御茶ノ水で青春の日々の記憶との遭遇をするところ、バラ園や大楠に魅了されること、などなど。いずれも思い当たる節はある。だが、そのようなことを何故執筆者は指摘出来るのか。

実は、それらは全て私が自分のウェッブサイトに文章化したことであり、写真を掲載した情景であり、短歌にして書き留めていたことだった。執筆者がそう認めている。そして上の指摘はどれも正しい。だが最も当惑したのは、元々自分しか知らないはずのこと、他の人にとっては何の意味もないはずのことが、文字になって向こうから「そうでしょう」と立ち現れたことになのだ。自分から出ていく時、書くことは必然だった。書かずにいられない衝動があった。だがそれを客観的にもう一度眺めるとなると、しかも別の作家もそのようなことを書いていたと指摘されると、私はうろたえる。確かに私は自分の記憶や感情や憧憬といったものを十年に亘ってサイトに書き続けてきた。それは誰の元に行く当てもない、届くはずのない手紙のようなものだった。一人で書き、一人でインターネット上に送信し、その先は誰か知る。だが、アップロードしたものを読んで記憶する人もいたのだという驚き。<読む女>は実は<書く女>でもあった。前者は外側から、後者は内側から、他者の目に晒されていたわけだ。当然誰かに読まれることを期するところがあったにしても、実際に「読みました」と言われると怯む気持ちが沸き上がるのは奇妙だ。嘘ではないのだが、どこまでが実だか既に定かでない。だから、「あなたはこう書いている」と言われても、それは必ずしも現在の自己認識と合致するわけでもない。書籍という形で作品を世に問う作家たちはどのように感じるのだろうか。

さらに、このエッセイの執筆者がキーワードとして掲げる「関東平野のかなしみ」というフレーズがある。それは短編のタイトルのひとつであった。執筆者によれば、一読後私はこのフレーズに注目したのだという。そしてこのことばは作品集を貫くテーマでもあると。正直なところ、今となっては短編作品を読んだ直後の印象は記憶にない。何をどう指摘したのかも覚えていない。だが、このことばを取り出して突きつけられると、私は怯みつつさもありなんと思う。そうだ、確かに私はずっと「関東平野のかなしみ」を抱えてきた。一体これは何を表すフレーズなのか。

狭い国土の中で、平野としての関東地方はその広がりで日本随一である。その関東平野の最大の特徴は、江戸時代以降ここに日本の政治経済の中心が置かれたため、我も我もと全国から人が集中したことにあろう。その結果、平坦なのをよいことに、この地域の多くの部分が人の手で徹底的に作り替えられて今日に至る。単に都市化が進行しただけなら世界中どこにでも起こるありふれた近代化の道筋であるが、更にこの関東平野を特徴付けているのは、類い希な過密都市東京の「首都圏」という属性であり、その副産物としての人工的な様々な装置にある。ここでは震災と戦災に加えて無謀な都市計画が常に企てられてきた。それはうち捨てられていく過去と表裏をなす。近郊に拡がる茫々たる休耕地はいずれ悉く宅地化の運命を辿るのだろう。脈絡もなく建てられた統一性のない、見る喜びからはほど遠い街の造作はどうだ。行けども行けども建物が続き、自然の模倣に過ぎないような公園や、僅かに残された緑地の矮小さをどう言い表そう。いっそ人工物の方にダイナミズムがあり、独特の風情を醸す地区も多い。去来する人々の熱望と呪詛を浴びながら、関東平野はいくらでも人を飲み込んで肥大化し続ける。こんな場所で何かを期待すると、たいてい失望に終わる。そこから個々のかなしみが零れ出る。

石狩平野であれ、庄内平野であれ、越後平野であれ、筑紫平野であれ、この時代の困難さを包含する点で何処も変わりないように見える。しかし、もしひとつだけ決定的に違うところがあるとすれば、関東平野の中心にいる限り、山も海も限りなく遠いということだ。突飛に聞こえるかも知れないが、この海洋国、この山岳国にいながら、関東平野の人間には山も海も見えないのである。首都圏の利便性をとる限り、人は自然から画然と分かたれる運命を引き受けざるを得ない。一千万人を超える人間の目に、海のうねりも山の威容もまったく映らぬまま日々が過ぎていく。実際は埋め立てられ遠ざかる海があり、コンクリートの護岸の底を流れる水を集めて海に注ぐ川があり、いつ行けるとも知れぬ山は晴れた寒い日には地平線に姿を現すのであるが、普段は見えない。あるのに見えない、行きたくても行けない。たまさか海辺に立ったとしてもそれは多くの人にとって日常の風景ではない。窒息しかけながら、われわれは関東平野で都市生活を続ける。地に根ざした自然の息吹をコンクリートの下に封印した見返り、それが関東平野のかなしみではないかと、私は思ってきた。

私がサイトに花々の写真を載せるのは、そのことに対する「埋め合わせ」かもしれない。住宅街の庭先に、街角のポケットパークに、塀に囲い込まれた公園に、涙ぐましいほど熱心に人々は植物を栽培する。私は近寄って花々を、木々を接写し、家に戻るとパソコンで背景の夾雑物を切り取り、あたかもそれだけが豊かな空間を埋め尽くしていたかのような写真に仕上げてサイトにアップする。100枚撮影しても掲載出来るのは半数にも満たない。光の加減によっては全部がボツになることもある。雑草以外で自生する植物に出会えることは滅多にない。見事な樹木に出会って喜んでも、数ヶ月後には思い切りよく伐採されて無惨な切り株だけが残っていたためしにも事欠かない。掌に載せてようやく愛でることのできる自然の切なさもまた関東平野のかなしみである。

もう作品集からは遠く隔たってしまった。作家の意図とは関係のないことを私は書きつづっているだけだろう。だが、どこかで繋がる水脈がある。匂い、眼差し、肌触り。激烈な物語ではなくとも命の連鎖を証言することばがある。その微かな響き合いに、人は互いの存在を確かめ合う。一輪の花に宇宙を、一粒の砂に永遠を見る人間の魂を一冊の本が伝える。手から手へ受け渡される本。その確かさに比べれば、ウェッブサイト上の言葉は余りにも脆弱だ。それにもかかわらずそんなか弱いことばに光を当て、「読んだ」と伝える文章に、私は当惑と共に喜びを感じた。今までにも、そのような経験がないわけではない。時と空間の隔たりを越えて飛び込んできたいくつかのメッセージに私が受け取った励ましは無限だった。

人間はおかしなもので、自分の発言や行いはすぐに忘れてしまう。私を<読む女>に仕立てて一文を書いた人も、既に「あれ、そんなこと書きましたっけ」と飄々としているに違いない。私を描いたのはそうすることしかあの短編集について書くことがなかったという苦肉の策だったのかも知れない。(おそらくそうなのだろう。)だが、描かれた方は必ずしも書かれていることと実態が合わないとしても、その小さな「肖像画」を大切にしまい込む。描かれることで留められた自分の生の一瞬は、かなしみとは対極に位置する恵みであるのだから。

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▲回遊路にて▼ February 19, 2007

仕事に出かけなくてよい日、自宅で家のことにだけ関わっていてよい日、私はたいていいつも夕刻近くに散歩する。夕飯の買い物やクリーニング屋などへの用事をかねて、「お使いに行く」というスタイルで。若い頃は時間を気にせずこの「お使い散歩」が数時間に及ぶこともあったが、流石に今は小一時間というところで切り上げてくる。自転車は使わない。だから両手にもてるだけというのが買い出し分量の目安になる。

家を出る時にちらりと腕時計を確認して歩き始める。どちらへ行こうと自由なのだが、いつの間にか何となく散歩コースができている。先ず近くの雑木林を目指す。昔はそこここにあったはずの武蔵野の雑木林も、今では特別に保護しない限り存続は難しい。私が行く林には「ざわざわ森」という愛称が付いている。せいぜい2000平方メートルあるか無しかの範囲に、コナラやクヌギを中心としてエゴノキやエノキ、ケヤキも生えている。マユミのような低木や桑の木もある。早春には何種類かのスミレが自生する。虫取りの少年たちに出会うのもこの林の中だ。林の中に一歩踏み込むと、都会の喧噪も勤めのストレスも、心の中のあらゆるモヤモヤを忘れることができる。いや、忘れることにしている。林の中では、私は余分なことは何も考えず、木の肌に触れ、草や木の葉を見つめ、土の感触を足裏に味わい、枝葉を揺する風の音だけに耳を澄ます。木漏れ日を浴び、草いきれを吸い、落ち葉をかき分ける。冬枯れの中にあってさえ、雑木林は深い慰藉を与えてくれる。急ぐことも慌てることもなく、わたしは土を踏みしめて歩く。

そんなサンクチュアリを抜け出た先には遊歩道がある。多摩湖から武蔵境の浄水場まで続く「水道道路」なのだが、歩行者と自転車が共存し、沿道には様々な木々や植栽が連なっている。私がいつも歩く範囲には山桜と紫陽花が続き、モクレンやマテバシイ、松の木、はなみずき、そしてムクゲやサルスベリなどが植わっているし、その間を縫うようにハギやドウダンが季節の彩りを添える。公道とはいえ、あちこちに花壇を作って手入れする人の丹精のお陰で、季節ごとに咲き競う花が道行く人に目を楽しませてくれる。それらの花を追って一年以上私は「花暦」をつけてみたこともある。早春にようやく届こうかというこの季節には、枝垂れ梅の紅白、ミツマタの黄色、スイセンのミルク色、そして赤い椿が鮮やかだ。

夕刻に歩いていると、犬を散歩させる人が多いのに気付く。一人で3匹も連れ歩いている人もいれば、犬に引かれるようにしてようやく歩いているお年寄りもいる。犬を連れた人同士がすれ違う時に交わされる会話に思わず苦笑することがある。彼らはまるで幼児の親たちのような言葉遣いをする。

「あらら、ごめんなさいねぇ、お行儀悪くて。」
「どういたしまして、こちらこそ。同じですよ、ね。」

どちらかの犬がもう一方に吠えかかったことを詫びているらしい。犬だもの、吠えて当たり前だろうと思うのは、犬を飼っていない者の認識不足。犬の散歩にもマナーがある。野放図に吠えたてるのは「躾がなっていない」ことになるわけか。夕刻のこの遊歩道は犬のウォーキングストリート。犬を連れていない人は競歩よろしく両肘を上げてメカニカルにさっさと歩く。スポーツとしてのジョギングとトレーニングとしてのウォーキングの為の大通り。そぞろ歩くのはお年寄りかリハビリの人。(私はどっちだ?)季節の花を愛でながら、しょっちゅう立ち止まって茂みを覗き込む。時にはカメラを構えてシャカシャカとシャッターを切る。そんな時には「ほぉ、何か珍しいものがありますか」と通りすがりの人に話しかけられたりする。ドッグウォーカーとの接点はないが、ゆっくり歩くお年寄りには親近感を抱いてもらえるらしい。「はぁ、たいしたものではないんですが、こんなところに」と言って、被写体を指すと、「おゃ、もうこんな季節でしたか」とほんの一言。ほほえみを交わしてすれ違う。

それから野火止用水端の遊歩道に曲がり、主にここでは木々を眺めながらしばらく歩いて、ようやく商店街の入り口に達する。さてそこからは散歩モードに別れを告げて、食料調達のリアリストに変貌。キビキビ買い物を済ませ、もてるだけ担いで帰還する。(この荷物運びが結構な運動であり、労働となる。)「同じところばかりぐるぐるしているな」と情けなくもなるが、歩くリズムを全身で感じて、風に吹かれるだけでとりあえずはよしとしよう。上り下りもない平坦な街を回遊しながら、それでも私は夢を見ている。いつかこのサーキットを抜け出して大自然の懐へ赴こう、異国の迷路を辿ろうと。だが、その夢が実現した時私が思い出すのは、この変哲のない散歩道なのだろう。日常生活とは、故郷とはそんなものに違いない。それもほのかに想像出来る。「人は帰るために旅をする」と読んだ言葉が蘇る。

いきなり飛躍するようだが、そんな気楽なことを言っていて帰還のあり得ない難民がどれほど夥しく世界にいるかを忘れていないか、とも思う。永遠に戻る家があると思うのも幻想ではないか。人は今あるものの価値を知らずに勝手なことを言う。毎日食べるものがあり、雨風しのげる屋根の下に眠れる幸運の意味に思い至らない。散歩していると、実は色々なことを考える。もしかすると読書以上の思索の時なのかも知れないと思う。読むこと書くこと語ること、そして歩くことが私の生活には欠かせない。

 

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▲読書日記の恐怖▼ Spetember 4, 2006

私はある時期、読書の習慣を失っていた。それは今から10〜15年前の数年間のことだった。直接の原因は仕事と幼い子どもの相手と引っ越し騒動などの複合的なものだったと思う。本を読まずに仕事ができたとも思えないが、若い頃暇さえあればお金はなくとも本屋巡りに明け暮れ、本の背表紙を見るだけでも恍惚としていた頃の意欲がすっかり失せていた。多分本の中の世界より現実にせっぱ詰まったことが相次いでいたのだろう。無我夢中で切り抜けてしまった後では何がどうとハッキリ思い出すこともできないのだが、確かに私は本と疎遠になっていた。あの頃たまたま会合の時に近くに座っていた人々が、「最早、中毒としか言えないんですよね、活字の。」「ふーん、そんなに読むんだ。よく時間がありますね」「いや、全部読むわけではないですけどね、読まずにいられなくて」などと雑談しているのを耳にして慄然としたのを覚えている。何年も読む情熱から遠ざかっていることを自覚した瞬間だった。

それからしばらくして生活の中にパソコンが入ってきた。始めは珍しくて面白くて、闇雲にメールを書いてばかりいた。その頃私の「メル友」だった人々にはたいへん迷惑をかけた(ように思う)。これも今となっては一種の若気の至りと開き直るしかないのだが、とりとめもないことを際限なく、抑制なく書き散らしていたと思う。「そんなに書きたいことがおありなら、ホームページでもお作りになって、そこで好きなだけ書いたら如何ですか」とやんわり釘を刺され、「御説ごもっとも、私の駄文で迷惑をかけました」と謝りながら、私はサイト構築に方向転換をした。新しい玩具を手に入れた子どもと大して代わらないシフトだったのではなかろうか。要するにその時期はマシン相手に書くのが面白くて、余り本を読まなかったと記憶している。読まなくても平気だったのは元々単細胞の故か、それともより大きな情熱に捉えられると他を顧みなくなるという身勝手さ故か、バランスを欠いていたことに違いはない。

だが、時は過ぎ様々なことが移ろうと、スパイラルは新たな位相で歴史を繰り返す。中毒ではないけれど、継続的にいつも何かしらの本を読んでいる状態が戻ってきた。とはいえ、研究者が専門書を系統的に、丹念に読み解きながら思索を重ねるという緊密な読書をしているわけではない。有り体に言えば「手当たり次第、興味のおもむくまま、その時々の好奇心に突き動かされて」本を選んでいる。私が読むのは雑多なジャンルのあれこれである。次から次へと仕入れてくるので狭い部屋中に本が溢れ、何とかしなくては生活空間が狭まるばかりとなり、いよいよ処分を考えなくてはならなくなってきた。

古本屋街を彷徨うのがこよなく好きだった(けれど買うお金のなかった)若い頃に比べたら、今は贅沢になった。新刊書でも欲しいものなら気前よく手に入れる。もっとも私は書籍マニアではないので稀覯本の類に大枚叩くというような買い物はしない。文庫本でシリーズが八巻出ているとすると、第一巻から順に一冊ずつ買って行くのではなく、一気に揃いで買ってしまうといった程度の贅沢である。それでも「わぁ、これはオトナ買いだわ」などと悦に入っている。そしてどこでも読む。通勤の車中は普段のメイン読書室となる。休暇の時には机で読む。病院では待合室が読書室。時々料理しながら立ち読みしている。枕元にも常時数冊積んである。

読めばさて他の人はどう感じたのかちょっと気になるので、今度はネット検索に乗り出し読書人のブログをあちこち読んで回る。書籍紹介のブログにブックマークをしておいて、定期的に読みに出かけたりもする。なかなか鋭い批評に出会うと感心し、自分の読みの浅さに呆れたり、関連書籍を改めて探したりと、気の向くまま読書の続きを楽しむ。そうこうしているうちにはたと気付いたことがある。

私の見て回るブログには「読書」がテーマのものがたくさんある。そういう関心にしたがって検索するから当然なのだが、「読書」の記録をブログに公開するというのは実はたいへん勇気のあることではないかと思うのだ。ある意味で、読書の記録はその人の「意識の記録公開」でもある。どんな本を読んでいるかでどんな人かは想像出来る部分が多い。少なくともその人のメンタリティー、インテリジェンス、センシビリティー、おそらくセクシュアリティーまでもが如実に表れている。何もカタカナで書くこともなかった。つまりどんな気質をしているのか、知性のあり方、感受性の特質、性的嗜好の有り様さえもが読んだ本によって、またそれらの本への反応ぶりによって具体的に開示されることになりはしないか。堂々とそのような開示を行う読書人ブロガーの多いことに、また私は目眩を覚える。

ブログに(あるいはウェッブサイトに)何かを書くことは、それが何であっても情報公開である以上、書き手に関する情報も同時に公開することになる。「自己表現」がしたくて書いている人たちには本望かもしれないけれど、実は書くことは「見せたい自分」とは別のイメージをばらまくことでもある。それでもよしと、腹をくくらなくてはものを書くなんてことはできっこないのだが、自分を振り返ってみれば、私が読んでいるものをネットで公開するなんて恐ろしいと今は感じる。何故なら自分が読むのは他愛もないものや、下世話なものや、マニアックなものを大いに含んでいるから。「こんなものを読む人間です」と自分を人前にさらす勇気が私には、まだない。本は読み手の楯ではなく、鏡だ。読むこととそれについて書くことの相関関係について、思いをめぐらし始めた段階と自覚している。

ジャンルを問わず、ネット上にものを書くことは自由だ。一方的・主観的なスタイルで通そうと思えばできなくはない。少なくともブログやサイトに淡々と書いている限り、真っ向から論争を挑まれる可能性や批評にさらされる可能性は低い。ましてや日記のような記載に関して人から文句を付けられることはまずないだろう。(思いもよらぬコメントが付くことはあるかも知れないが。)しかし、出版されている書籍について書き連ねることは、その書籍との対峙に他ならない。対象の本とどう取っ組み合ったかが、人前に晒される。「批評的読書感想文」と言うジャンルは、想像以上に書き手の内面に深く関わる行為ではないかと思う。だから、読書ブログには感心している。セルフイメージを突き抜けて自分を開示する勇気に、敬意を表したくなる。

そしてその恐ろしい(はずの)行為に次第次第に引きつけられていく自分を意識して、恐怖を感じているのが実情である。

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▲何に書くか、何を書くか▼September 1, 2006

またしても変なページを始めようとしている。ここのところちょっとばかり気になっていることがあった。このブログ全盛の時世に、いやもっと奥まったところで「ソーシャル・ネットワーキングサイト」(たとえば「mixi」)のような「社交場」が繁栄の一途を辿っている時に、いつまで私は「個人ホームページ」に書くのか、よく分からなくなりかけていた。あちこち覗いて歩き、へぇ〜と驚き、なんと!と慌て、ふ〜むと感心しながらも、まだしっくり来ていない。「書きたい人がいっぱいいて、みんな好きなように書いて公開する時代」とマスコミももてはやす。「自己表現の欲求」なんていう手あかの付いたことばをわざわざ持ち出さなくても「書きたいから書く」「手軽に書けるところに書く」「書きたいことはなんでも書く」で良いじゃないかと。だが、私の感じている違和感はなんなのだろう。オンラインでの活発なインタラクションはそんなに良いものか、楽しいものか、と醒めた目で見ている自分がいる。それに気付いて、「えっ、どうしたことだ、いつも物見高くて珍しい物好きで、自分でもやって見たがる性分の私が食指を動かされないとは、歳を取ったということか?」と愕然としてもいる。

片言隻語が飛び交うのではつまらないなどと言うつもりはない。人と人の関係が希薄になった現代に、長屋の付き合いのような親交の場としてのネットソサエティーがあっても良いと思う。私だって趣味を同じくする人たちとネット上で交流してとても楽しい時を過ごしてきた。よく自主管理の行き届いた掲示板上であったけれど。その「掲示板」というものが今や斜陽になっている。以前はいつ行ってみても誰かしら何か気の利いたコメントを残して次なる書き手を待っていて、「連歌」のような趣さえ漂わせていたにもかかわらず、今や空き家同然となって風前の灯火。あの盛り上がりはどこへ消えたのだろうと呆然とせざるを得ないのだが、実は当時の参加者がそれぞれ自己主張を繰り広げるブログを始めたり、ソーシャル・ネットワーキングサイトへ河岸を変えたりしてインタラクションの形をシフトしてしまったのであった。

誘われて、私もソーシャル・ネットワーキングサイトを囓ってみた。誰かからコメントがつけば嬉しいし、誰かの発言に軽く反応してみるのもなかなか楽しい。でも、違う。私がやりたいことはこれではないという直感が働く。ネット上に書くことで私は「社交」がやりたいのではない。でもそんなことを公然と言ってしまったら、「じゃ、来なくていい。サヨナラ」だ。ちょっとじれったい。長年ネット上で暮らしてみて(!)、とても単純なことが一つ分かった。ネット上の社交に「書きたい気持ち」を発散させると、身の内に溜めて書くエネルギーが枯渇する。発散はそれなりの快楽だが、それきりでもある。そこが充実させられればそれも一つだろう。しかし、社交をプロデュースすることでは満たされないと自覚するのはバージニア・ウルフ描くところの『ミセス・ダロウェイ』も同じだった。多分そこだ。

ではブログはどうか。リンクを辿って、知り合いからその知り合いへ、そして縁もゆかりもない人のブログサイトへと漂流を重ねた。毎日のように思いがけないブログと出会う。それぞれ工夫を凝らし深い内容を凄まじいパワーで書き続けているブログもあれば、緩くだるくとことん自己耽溺的なブログもある。「文は人なり」とは良く言ったものだ。書かれたことがその人の人格、性格、生活習慣、美的センスなど幾多のことを開示している。ある意味、恐ろしいほど率直に。そして、ブログと個人ホームページの違いは何かというと、ブログには例外なく自由に書き込める「コメント欄」がついている。一つのコラムにいわばいくらでも尾ヒレを付けていけるようになっている。書き手はその反応を読んでまたコメントを返す。即時的なインタラクションだ。先に書いた「ネット上の社交」とはまた違う。一対一の問答に近い。片言隻語とは言えないだろう。そして有名ブログは日々何万人も集め、マスコミの顔色をなからしめる。

ここでも私は立ち止まる。実は何度かブログ作成プロセスに踏み入ろうとしてみた。今も諦めたわけではない。巧みにブログを活用する人を見ていると、ホームページなんて古臭いような気もしてくる。いちいち自分でページを作って手元のファイル管理をしながらFTPソフトでサーバーにアップロードしたり、いらなくなったファイルを消去したり、リンク切れを気にしたり。何となくアパートの管理人のようなことをしている。こんな面倒なことはもう止して、書きたいことだけブログに書くというのもいっそ潔いのではないかと思ってみたりもする。まず信頼出来るブログプロバイダーを選んで、おしゃれな背景を選んで、いくつか設定を決めたら後は文章を流し込むだけでよい。「本当に書きたいこと」があるなら、純粋にそれにだけ集中出来るのだし写真も載せられる。こんな便利なものはないようにも思う。

いやいやまだ違う。私は手っ取り早く何かを書いて公開したいだけでもないらしい。(面倒な人間だ!)実は書きたいことを書くというのは非常に難しいと痛感している。本当に書く価値のあることなど滅多にないとも感じる。個人ホームページに9年間細々と書きつづってきてそう思う。その時は熱中して書きまくったことも、ほとぼりが冷めてみればなんということもない駄弁に過ぎなかったりする。それなら書く端からどんどん消していけばよいようなものだが、それも惜しくて溜めておく。だが、誰も読まない古びた覚え書きに何の価値があるというのか。多分客観的な価値はない。玉石混淆の「石」だ。ところが、路傍の石は石なりにしたたかなものもある。ある時誰かの検索キーワードとなり、突如浮上することがなきにしもあらずなのだ。(これまでに何度かそういう経験をしてきた中で一番ビックリしたのは、月島のもんじゃ焼きレポートをしたのがアメリカ人ジャーナリストの検索に引っかかって感謝された時。)ばかばかしくもおかしい。この「検索過熱」の時代、本人の意図とは関係ないところで、任意の文脈に組み込まれるということが起こる。だから、消すことはない。(「検索の時代」については稿を改めて。)

要するに、何をどういう風にどこに書いても良い、という結論に至る。インタラクションそのものを楽しみたい人は「ソーシャル・ネットワーキングサイト」へ、手間暇かけずに自己主張・情報発信したい人はブログへ、雑多なことをあれこれアーカイブ化したい人は手作りホームページを。ゴロゴロジャリジャリと石をばらまく覚悟が定まったら、実行あるのみ。かくて、私はこのお初の「雑記帳」に字数制限無し、定期更新の予定無しで書くことにした。ネットコミュニケーションのことを起点に諸々を書き殴る。極力約めた「更新・短信」に収まりきらない文字の行き場を、実は探しあぐねていたのだ。

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