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散策思索 55 「町の本屋」
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散策思索55 「町の本屋」 北田 敬子 だんだん町の本屋がなくなっていく。四十年近く前に東京西郊のこの街に引っ越してきたとき、ぐるりと歩いただけで四軒、隣町まで足を延ばせば六軒の本屋があった。散歩がてらいずれかの店に立ち寄るのが楽しみだった。立ち読み専門だから、よい客とは言えない。だが、たまには衝動買いをすることもあれば、目星をつけていた本を手に入れて急いで帰宅することもあった。もちろん都心の大型書店や神保町の古本屋街を訪ね歩くのも好きだ。けれども近所で本の背表紙を眺めるのは格別だ。オンライン書店で探せばあらかたのものは買える時代になっても、ぶらりと店に入って書棚の間を歩き回る悦楽は捨てがたい。それがもう今ではこの町に本屋は一軒しかない。 書店も時代とともに変化しているのは確かだ。この町に唯一残る「丸山書房」でさえ、ささやかな「多角経営」に乗り出している。二階にはイベントホールがあるし、売り物は本だけではない。いつしか文房具のコーナーができ、雑貨やシンプルな衣服、立体パズルや玩具を並べるようになった。さらに、店の脇のショーウィンドウには精巧な造りのぬいぐるみ動物が並んでいる。犬猫は言うに及ばず、ライオン、虎もいればインコやシマエナガなどの鳥、立派な嘴のハシビコロウもいる。商品の入れ替え頻繁なところをみるとよく売れているようだ。私は施設にいた頃の母に、ここで柴犬を買っていったことがある。 一時はマンガが相当なスペースを占めていた。書棚には出版社ごとに仕分けられたマンガ単行本が溢れ返り、活字ばかりの本は肩身が狭そうだった。今でもコーナーはある。だが、ひと頃ほどではないように感じる。逆に絵本が復権してきた印象が強い。学習書や実用書も一定数はある。とはいえ所詮小さな本屋だけに、そうやたらに流行りものばかり並べるわけにもいかないのだろう。新書コーナーは比較的おとなしい。やはり一番幅を利かせているのは文庫本だ。平積みコーナーも含めて、新旧とりどり特定の作家特集なども組み、非常に賑やかである。その品揃えを眺めるだけでも、時代小説と歴史ものが人気を博していることはよく分かる。書店を訪れる読者の年齢層が上がったのか、エンタテインメントとしての時代劇、歴史に光を当てたものの需要がいかに大きいか一目瞭然だ。 ハードカバーの新刊書が書店のセンターを占めているのは変わらない。とはいえ読者が気軽に手を出せるのは何と言っても文庫本だ。価格だけの問題ではなく、文庫本は持ち運びやすい。見方によっては掌に収まる点でスマホに負けない。幾度か電車の中で観察してみたところ、一列七人の座席でスマホを見ている人が六人だとすると、読書中の人はいてもせいぜい一人。そのほとんどは文庫本か新書を持っている。(たまに図書館で借りた小型の本を読んでいる人もいるにはいる。)嘗ては車中で新聞を読む人がいた。縦四分の一に折り畳み、細い紙面を器用にめくりながら読むのがマナーだった。この頃新聞読みはまず見かけない。同様に、車中で若者が少年マンガ雑誌を読むのも日常風景だった。「学生がマンガを!」と嘆かれたこともある。だが、時代は変わった。今では授業中にこっそりマンガ雑誌を読んで教員の怒りを買う学生はいない。スマホが「内職」の王座について久しい。 町の本屋が消えていくのは人が本を読まなくなったからなのか、それとも読者は手っ取り早くオンラインで書籍を注文するようになったからなのか、業界ではリサーチが進んでいるだろう。本屋の側でも色々な対抗策を練っている。書店員は工夫を凝らしたポップを競い合い、「書店員が選ぶベストセラー」や「書店員が売りたい本」という企画も隆盛だ。「本屋大賞」もある。本を売る現場の最前線にいる書店員が表舞台に出るのは当然の成り行き。一方、本屋だかカフェだか分からない品揃えの店もあるし、無制限に置いてある本を読ませる食べ物屋もある。そんな様子を見るにつけ、人が本嫌いになったわけではないような気がする。普段、本を読む時間と読む場所がないだけなのではなかろうか。(それなら図書館があるではないか! でも、通う余裕は…?) 店頭で在庫を尋ねると、書店員が分厚い帳面をめくって確認していたのはもうずいぶん前のこと。今ではパソコンの前に直行して検索する。たちどころに有無が分かり、無ければ出版社に発注できるかどうか問い合わせる。そこで「一週間から十日くらいかかります」と言われれば、客の多くは「じゃ、結構です。また今度」と言って引き下がり、自宅でオンライン書店に自ら注文する。都心の大規模書店だと、在庫があってその場で手に入れられる幸運もある。それならオンラインより早い。支払いも中型書店以上だとセルフレジが整備され、書店員の手を全く介さずに本を買うことが当たり前になった。カバーをかけたいかどうかもお客が選んで、カバーはストックの棚からピックアップすればよい。スーパーマーケットでキャベツを買うのと殆ど変わらない。手間取る町中書店は分が悪い。 しかし、本との出会いは人との出会いにも似て、「この一冊」と巡り会える喜びは大きい。なべて巷にあふれる書籍は人智の宝庫である―と言いたいところだけれど、本の多くは読み捨てられ、「古本」となり、裁断されて廃棄される。今日の新聞が翌日には「新聞紙」となるように。私自身、故人の蒐集した本をまとめて古書店に売却してあまりにも僅かな金額と引き換えた時、大いなる罪の意識に苛まれた。一冊の本を書くのにどれ程の労力が払われ、どんな過程を経て印刷され自宅の書棚に辿り着いたのかを思えば。にもかかわらず、本はモノとしての運命をたどる。そのモノを売る本屋が消え、町から人と本との出会いの場が失われてゆくのを何としたものか。私は密かに「あの本屋を買い支えよう」と決意したにもかかわらず、現実はオンライン書店に屈服している。それでも、町の本屋に生き延びて欲しいなら、利便性に背を向ける覚悟が要ると思ってもいるのだ。 |
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