| 初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2026年 4月2日 |
散策思索 52 「花の下にて」
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散策思索52 「花の下にて」 北田 敬子 毎年桜の頃になると人は空模様をうかがい、今日か明日かと落ち着かない。旧友から出かけてみましょうというお誘いを受け、私は今年一番の軽装で街に飛び出した。どこをどう歩くかは当日までのお楽しみということで、行方定めぬ旅がらすの心境。 山手線の大塚駅で友人と待ち合せた。そこから私たちが乗り込んだのは、都内で唯一残っている路面電車「都電荒川線さくらトラム」。たった一両の、バスよりはかなり大きな車体を、一人の運転手兼車掌さんが出発進行・停車・乗降客の出入りと巧みに目を配っている。路面を行くので、道路の信号には他の車両と同じように従う。当たり前のようでいて、緩急のつけ方が電車ともバスとも違うゆったりと落ち着いた動きだ。一駅だけでも、全線踏破しても画一料金(\170)であるところも都電はどこかのんびりしている。昔聞いたチン、チンというベルの音が今も車内に響く。友人に「この路線は桜よりむしろ薔薇の方が名前になってもいいくらい」と教えられた。季節にはバラの咲く名所をつないで走っている。 私たちは飛鳥山公園入口に近い王子駅で降りた。 飛鳥山は標高25.4メートル。「享保5(1720)年から8代将軍吉宗の命により、桜の苗木約1,000本、ツツジ、赤松、楓などの植樹が幕府によって行われ、庶民に開放された」と国立国会図書館のウェブサイトにある。(https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/asukayama)私はこの花の名所を今まで一度も訪れたことが無かった。麓から山頂まで料金不要のアスカルゴという愛称のモノレール(定員16人のカタツムリに似た車体)が繋いでいる。乗車時間僅か2分なのに、大勢の人が列をなしている。列はなかなか進まない。だが急ぐ旅でなしゆっくり行くのがよかろう。 山頂に一歩足を踏み出して驚いた。見渡す限り山の斜面で弁当をひらく花見客。山のふもとの広場では、舞台で沖縄から来た一団が賑やかな音曲と舞踏を披露しているのを見下ろせる。それを取り巻く大勢の見物客。花と人に溢れる丘陵は多幸感に満ちていた。普段は人込みをなるべく避けている自分も、その中の一人であることに喜びを感じるのは、花の魔法にかけられたに違いない。300年以上前の植林が現在もなおこうして人を呼び集める力を発揮していることに驚くほかない。 下山した後、今度は駅前の「北とぴあ」(ホクトピア)という北区の公共施設17階展望台を目指してエレベーターで一気に昇った。飛鳥山の25.4メートルとはなんという違い!首都圏の北東部が一望できるだけでなく、足下に後にしてきた丘陵とその脇を走る大通りに都電や車の流れ、さらに鉄道線路には新幹線や在来線が次々に行き来する様子も見える。そこここに咲き競う桜の花がささやかな彩を添えている。とは言え、コンクリートの塊が思い切りぶちまけられたような光景の中に緑地はほんの僅かしか見当たらない。ただ隅田川がくっきり青々と延びているのが救いだった。東京スカイツリーも遠方から鳥瞰すると、ほんのちっぽけな塔が突き立っている印象だ。徳川時代にはよもやこのような「山よりも高い」建物が江戸の町ににょきにょき出来するとは誰も夢にも思わなかっただろう。 食事を済ませた私たちは都電で町屋まで行き、そこから地下鉄千代田線に乗り換え北千住で降りた。大きな駅だ。何しろJR常磐線、東京メトロ千代田線、同日比谷線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレスが行き交う都内有数の要衝の一つなのだから。実際に駅を降りてみると街にはたいそうな活気があった。アーケード街を曲がると「千住宿」のバナーが翻る道に入った。流石、日光街道と奥州街道そして水戸街道も交わる宿場町だっただけのことはあって、古民家や古い建物の商店が佇んでいる。キョロキョロしてる私を友人が「槍かけ団子」で有名なかどやという小さな和菓子屋に引っ張っていった。売り切れたら閉店とのことでグズグズしていられない。餡とみたらし団子をそれぞれ一本ずつ買って商店街を抜けると、突然視界が開けた。そこは荒川の河川敷だった。 悠然と流れる水面に春の日差しがまばゆい。散歩する人、走る人、野球する人、駆け回る子供たち、そして何もしないでゆったりと土手に腰を下ろして辺りを眺める人。ホッとしてため息が漏れる。広い。空が広い。川風が吹く。鉄橋を常磐線とつくばエクスプレス、日比谷線が軽やかな音を立てて行き交う。河川敷に桜の木はなかった。けれど、整備された大きな花壇一杯にチューリップがたくさん、たくさん色とりどりの花を咲かせて揺れていた。命を寿ぐような光景が拡がる。友人と私が草の上に並んで座って花より「槍かけ団子」に舌鼓を打ったことは言うまでもない。こんな晴れた日に来られたのは何にも代えられない幸いだった。 団子だけではない、その日は都電の梶原駅で途中下車して「都電もなか」(都電の形をしている)も買ったのだった。もしかすると子供の頃遊びに来たことがあったかもしれない荒川遊園地に近い駅だった。都電に乗ったり下りたり、地下鉄に乗り換えたり、街で遊ぶこと・街を遊ぶことは春ならではの楽しみと言えよう。団子も最中も一つ一つがとても小さい。けれどもしっとりとしたやわらかな甘さで身も心も癒す味わいだった。 かくて散策を終えると、私たちは地下鉄のホームで慌ただしく別れた。今年の花は今年限り。このご時世に来年の花見があるかどうかは分からない。嘗ての東京の様に今砲弾にさらされる子どもたちや人々が世界には大勢いる。花を愛でる静けさとほんの少しの甘味を楽しむゆとりが各地に戻ること、この地にも続くことを願うばかりだ。命が続く限り、「またね」と微笑みを交わし合える友人がいる幸いを花の下でかみしめる。
お土産「都電もなか」と都電のキーホルダー |
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