| 初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2026年 3月8日 |
散策思索 51 「蘇る樹木」
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散策思索51 「蘇る樹木」 北田 敬子 JR青梅線の日向和田駅を出ると、間もなく神代橋に出会う。欄干の隙間から深い渓谷に多摩川の上流が見晴らせる。春浅い水は群青色。日照りが続いたせいか、両岸に枯れ草の茂みが残る。何ともダイナミックな流れだ。近年ラフティングが盛んになっているとも聞く。橋の上から流れを見るのが大好きな私はいつまでも見ていたい。しかしこの日は観梅が目的なので、早々に橋を離れた。 日向和田から二駅先の二俣尾辺りまで吉野梅郷と呼ばれる梅の木で名高い地域が拡がる。拡がっていた、と言うべきだろうか。嘗ては梅の里として知られていたこの地で、2009年に日本初の「ウメ輪紋ウィルス」(plum pox virus)が確認され、2014年には青梅市全域の4万本に及ぶ梅の木が伐採された。その後二年を経て2016年から梅の木の再植栽が始まり、2021年に再植樹が完了、同年3月にはウィルス強化対策が終了したとのことである。2014年から数えて12年。徐々に梅の里は息を吹き返しつつある。地元の小学生が書いた「10年目の梅、見に行こう!」というキャッチフレーズに誘われて私も梅郷を目指した。 桜と比べると梅は華麗さには欠ける。どちらかというと枝ぶりを鑑賞し、花蜜を吸いに来るメジロやホトトギスの姿を愛でる風流な樹木という印象がある。もちろん長い冬を経て最初に咲く花の一つとして、梅は春の使者でもあるのは間違いない。有名な梅園に行かなくても近所の庭先に白梅、紅梅が蕾を付け始めるころから春のささやきは始まる。「おや、もう梅の花が!」と呟いてから満開まで梅はゆったりと季節進行の時を刻む。地域一斉に満開というのではなく、日当たりによって、植えられた場所によって、そしておそらく木の種類によっても時間差で咲くところがなんともゆかしい。 以前勤務先のあった地域には湯島天神、小石川後楽園、小石川植物園、そして六義園など花の名所がいくつも存在し、季節ごとに庭園をめぐるのが楽しみだった。今年は先ず、小石川後楽園から花見を始めた。以前に訪れた時、梅の木に賑やかにメジロが群れ集っていた様が忘れられず、お抹茶色の姿に白い隈取の真ん丸な目をした鳥を探したのだけれども今回はほんの数羽しか見つけられなかった。カメラを抱えた見物客の方がはるかに多いのには些か興ざめである。 その点、日向和田は町全体が梅園とも言えるため、どちらを向いても梅の木に出会う。嬉しいような哀しいような気持ちで、街の中心を走る道沿いの梅並木を見上げた。余りにも細く幼い木が健気に花を付けている印象なのであった。全伐採の憂き目にあった末、植樹し直されてここまで育ったかという感慨に襲われてのこと。これから何十年をかけて逞しい樹木になっていくのだろう。剪定を重ねる人の手が偲ばれる。 細い路地を曲がりながら歩くと、「青梅市 梅の公園」に至る。そこでは実に1700本の梅の木が全部伐採され新たに植え直されたと言われる。最初に目に飛び込んできたのは丸い山の斜面全体にちりばめられた、仄かに色付いた梅の木々のパッチワークのような景観。もしかすると(私は写真でしか見たことが無いけれど)全山満開の吉野山の桜を意識した植え方なのかもしれない。思わず口を突いて出たのは、「まぁ、なんてかわいらしい梅尽くくし!」という凡そ詩的ではない感嘆句だった。遠景から若木の群れはほやほやと、もやもやと煙る様に花を咲かせていた。 遠目に全山を眺めてそのまま西の方角へ、いくつもの観梅スポットを辿りながら二俣尾へと歩いて行くのも一興だろう。公園に集められた梅だけではなく、沿道の民家の庭先にそれぞれの趣で匂い立つ、個性豊かな梅の木を鑑賞しながらの散策は格別な風情を楽しめるに違いない。私は公園の前の食堂でうどんを一杯食べて腹ごしらえをし、梅の公園の山路をそぞろ歩くことにした。銘木の札を下げた梅はもちろんのこと、やや盛りを過ぎたロウバイ、きめ細かな黄色のサンシュユ、ミツマタ、足元を彩るフクジュソウ、風に揺れる水仙、咲き始めたツツジなどをいちいちのぞきながら歩くのは何とも楽しかった。梅も紅と白だけではない。しだれ梅の優雅さ、未だ剪定されずに伸び放題の枝を空に突き立てて大喜びしているような若木、手の届くところで開きかけの蕾の数々。どれ一つ見ても新たに植えられてここまで10年余りかけて育ってきたのかと感心せずにはいられない。 山頂の展望台から眺めると、快晴とは言えない薄青い空の元、あたりの山々も幾分冬色を脱し、緑に力が戻ってきているように感じられる。眼下にひろがる町には積み木をひっくり返したような活気がある。じっくりと時をかけて梅の木を再生させようとする意気込みのせいだろうか。そういえば私が中学生だった頃、よく父に誘われて二俣尾の海禅寺という寺で開かれていた座禅の会に参加したものだった。お寺そのものは焼失してしまったが、父について歩いたこと、厳粛な参禅会場の雰囲気、寺を出て眺めた多摩川の流れが思い出される。あの頃は梅の花には全く関心が無かった。父や母や連れ合いを見送り、今や同世代も早々と彼岸に渡り始めたとなっては、「花の命」にも目を向けずにはいられない。 桜も百年経つと老木となり樹木の病に罹って伐採を余儀なくされるものもある。青梅市の梅が老若の別なく一斉に伐採されたのは無念の極みだったろうが、倒された後に人の手で再び蘇る木々を目の当たりにすると、十年かければ、まして百年を視野に入れれば悲観するにはあたらないと思える。しかし人が人を殺し文明の遺産を破壊しつくす暴挙はこれとは違う。子どもまで殺す戦に正義はない。木を植える行為はその逆さまではなかろうか。 |
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