初出 田崎清忠主催
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2025年 9月14日

散策思索 47

 「花の名前」

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散策思索48

 「花の名前」

北田敬子

突然猛烈な夕立が降ってきた。雷も鳴り響く。それまであたりに漂っていた夏の終わりのけだるい暑さを一気に押し流す勢いで、激しい雨脚が地面を叩く。地球は季節のめぐりを忘れていなかったのだと私は半ば喜び、半ば呆れながら天候の急変を見つめていた。これで一気に川の水かさも増すことだろう。ダムの水位にまで影響するかどうかはわからないけれど、少なくとも日照りに悩んでいた田畑を潤す役には立つに違いない。

その時、不意にある記憶がよみがえってきた。ここしばらくのこと、私は一つの花の名をどうしても思い出せないでいた。希少な種類の花ではない。夏の間、どこにでも見かける鉢植えの色鮮やかな花だ。何となく気晴らしにある日花屋で一鉢買ってきた。緑色の茎や葉だけが繁茂している雑然とした花壇にアクセントを添えてくれるに違いないと思ったのだ。店先では小さなつぼみをいくつか付けていた。いずれ鮮やかな花が咲き競うに違いないと思って鉢を抱えて帰った。

夏の日差しには強いに違いない。わざわざ日陰に置くこともあるまい。強烈な陽光によく似合う花なのだからと、私は鉢を花壇の片隅に置いた。ローズマリーや紫蘇、ブーゲンビリア、そしてやけに大きい葉になって繁るクリスマスローズに囲まれて、その鉢は程良い場所を得たように見えた。ところが、すぐ開き始めるだろうと思っていた蕾は少し色づいたところで、茎ごと折れてポトリと落ちてしまう。最初に落ちた蕾は周りの葉とぶつかって折れたのではないかと思った。だが二、三日を置いて色濃くなってきた蕾はどれも開く前に落ちてしまう。鉢を持ち帰ってから二週間以上も鉢には一つも花が開かなかった。どうしたことかといぶかしんでいる時、私はその花の名前を思い出せないことに気付いた。

本当にありふれた花なのに何と呼ばれていたのだっけといくら記憶を探ってみても分からない。インターネットで「夏の花」「赤」「黄色」と検索してみればきっとたちどころに候補が出て「ああ、これこれ」と思い出せたのだろう。私は自分の記憶がそこだけ空白になっていることに恐れを抱いた。時々こういうことがある。即座に言葉が出て来ないのだ。あれほどお喋りと揶揄され、うるさがられもしてきた自分がこんな風に言葉に詰まるとは。密かに「認知症の始まりなのだろうか」と危ぶんでみる。今は未だ冗談の域を超えないとしても、このようなことがいくつも重なれば立派なボケ婆さんになるはずだ。まさかと否定しつつ、自分の年齢から言ったら可能性は否めない。ろくでもないことがいくらでも詰め込まれていたはずの私の語彙集にいよいよ変調が訪れたのだろうか?それにしても、あの花の名は?

モノの名を忘れた時、人はどうやって思い出すのだろう。「ねえ、あれって何て言うんだっけ?」と家族に聞くのが手っ取り早いのだろうが、身近に誰もいない場合は?それよりなにより、ネット上の手続きや買い物をしようとしていてハタと「パスワードは何だっけ?」とキーを打つ手の止まることがよくある。もともと整理整頓の苦手な私はIDやパスワードをきちんと一覧にして手元に置くことが出来ない。一応デジタル情報メモとして決めたノートに手書きで文字や数字を書き留めてはある。さて、必要なデータを即座に取り出せるかというと、そのノートを何度もめくっては「ここに書いておいたはずなんだけれど」とページを行き来すること暫し。下手をすると時間切れになって目的を果たせずにウェブサイトを閉じることある。

こんなことを漏らしたら、若い人には「今時手書きメモなんて古い。全部スマホに登録しておけばいいのでは?」と言われるのが関の山だろう。住所録然り。先だって、買い物ついでに立ち寄った店に実に美味しそうな色とりどりの素麺が並んでいるのを見た。各種の野菜が練り込んであるようだった。「ああこれは、姪に。」と思ったものの、手帳に彼女の住所は書いていなかった。そうか今年手帳を一新して以来住所を転記し損ねていたのだったと気付く。でもそのまま立ち去るのは残念至極。自分が暗記しているのは弟夫婦の住所くらい。(何しろ彼らは私の実家に住んでいる。)仕方がないので姪に送りたかった素麺はその親の家に届けることとなった。事情を知らない義妹から「まあ、珍しいものをありがとうございました」とお礼を言われて、私は「あのその」と苦しい言い訳をするばかり。

そんな埒もないことを思い起こしている間に、夕立はきれいさっぱり上がってしまった。カーテンを開けて外を覗くと、ランドセルを背負った小学生が畳んだままの傘を握りしめて歩いていた。あの子は降られなくてよかったこと。夕立が来たら雨宿りすればいい。近頃の子どもは「雨宿り」なんて言葉を知っているのだろうか?「濡れネズミになる」とか、まあ”It rains cats and dogs.”なんていうのは知らなくてもいいけれど。

鉢を外に戻してから散歩に出よう。私は雨が降り出した途端に花壇のあの花の鉢を玄関に引っ込めておいたのだった。ようやく昨日蕾が落ちずに最初の開花を見たばかり。とても見事な赤い花だった。それに続いて黄色い蕾もはちきれんばかりに膨らんできたところだった。夏の終わりにやっと時機を得たのか開き始めた鉢植えの花が夕立に手折られては大変と余計なお世話をしたのだけれど、花は天然のシャワーを浴び損なったのかもしれない。老婆心が過ぎたかな。そう、雨とともに蘇った記憶、その花の名は「ハイビスカス」。

【追補】
なんと翌朝また忘れていた。これは重症かもしれない。今度はどうやって思い出したかって?この原稿を読み直したのでした。<嘲笑うようにふり向く夏の花>

 

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