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2025年 7月8日

散策思索 45

「映画『国宝』を見て 」

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散策思索45

「映画『国宝』を見て 」

北田敬子

2025年6月に公開されて以来高評の続く、歌舞伎役者を描いた映画『国宝』を観に行ってきました。歌舞伎のことは殆ど何も知らない人間にも十分(いえ、十二分に)楽しむことの出来る優れた作品だと思いました。名跡を継ぐ者は誰か、芸道とはどのようなものか、芸(才能)に恵まれたものと血筋の正当性(しかも男だけに与えられる特権)の違いは何かといった、これまで日本の文化の中で特異な世界と見做されていた歌舞伎の舞台裏ともいうべきものが丹念な考証を経て映像化されたところに、観客は興奮と高揚を感じているのではないでしょうか。

私はやはり歌舞伎の演目が演じられる場面に最も強く惹きつけられました。「関の扉」「連獅子」「二人藤娘」「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」が出てきます。いずれも長丁場の物語の山場だけ取り上げているわけですが、主なものは二回ずつ繰り返すところに時の経過と演者たちの人生の変遷が表現されており、非常に味わい深いものを感じました。練り上げられた演技の「形」というものあっての見せ場であり、観客の期待を裏切らない、更にそれを凌駕するような役者の個性が実際の歌舞伎では繰り広げられるに違いありません。映画では役者の「実人生」にオーバーラップするような仕掛けがあり、観る者に衝撃を与えます。

歌舞伎名跡の御曹司俊介(横浜流星)の笑顔にはどうしてもNHK大河ドラマの蔦屋重三郎の顔が重なって見えてしまい、陽性の人物像が浮かび上がります。任侠の家に生まれて孤児となり、15歳から歌舞伎役者の家に引き取られて修業を始めた喜久雄(吉沢亮)のほとんど笑わず求道者然とした造形は、この映画の軸としてゆるぎないものでした。舞台上の女形の二人は文句なしに美しい。揃って画面に出ているところがどんな運命の変転を辿る時にも魅力的でした。私は彼らを巡る女性たちのことがよく追いかけらなかったのが残念です。女性では唯一、上方歌舞伎の名門の主、花井半次郎の妻幸子を演じた寺島しのぶの存在感に圧倒されました。本物の歌舞伎役者一家出身の俳優ならではなのでしょう。

小野川万菊という老女形を演じた田中泯は、これも優れた映画『パーフェクト・デイズ』では無言のパフォーマーとして登場し、得体のしれない老人としか認識できませんでしたが、この度は老残の人間国宝を演じてピカ一でした。安宿で一人臥せっている様子、最後の襲名披露公演での横顔、若い役者たちを叱咤激励する声、どれをとっても見事でした。鍛え抜かれた舞踏家としての実体がそのまま映画に入り込み、余人をもって代えがたい配役です。

私はこれまで殆ど歌舞伎に縁がありませんでした。歌舞伎座の前は何度も通ったのに、別世界としか思っていませんでした。ただ一度高校生の時に(おそらく国立劇場で)歌舞伎教室が開かれ、『仮名手本忠臣蔵』を見たことがあるばかりです。殆ど何の記憶もありません。勿体ないことをしました。そんな私にも、『国宝』は現代の日本が生み出し得る最良の作品の一つであることは間違いないと感じられました。李相日監督が吉田精一の類い稀な小説を映画化したことが何より重要だったと思います。そしてスタッフ・キャスト・制作会社等の総体による協働がこのような作品に結実したことに感嘆します。観客もよく反応していると思います。

この作品を観ると、どうしても「女形」という役の妙味に関心が向きます。シェイクスピアの芝居も17世紀には風紀上の問題から舞台に本物の女性はあげないという禁忌があり、少年俳優が女役を勤める決まりがあったものの、現代にまで引き継がれることはありませんでした。歌舞伎で未だにそれが実践されていることの意味がこの映画で問われ、また表現されているのでしょう。もし<真に美しいものは生の姿ではなく変身にある>という仮説があるとしたら、鷺娘も娘道成寺も変身譚。鷺や蛇が女に変身し、その女を演じるのは男性であるという幾重もの捻じれが<芸>によって昇華され、舞台ならではの美を生むのでしょうか。そのような創造された美しさを化粧と豪華な衣装に身を包んだ当代随一の美男俳優が演じればこそ、観客はこぞって映画館に足を運びます。単なる美人女優ではこうはいかなかったことでしょう。(おそらく本物の歌舞伎も観客のお目当ては演目以上に役者なのではないかと想像します。)

この映画では伝統芸能である歌舞伎が親から子へ、またその子から次の世代へと世襲されていく仕組みが描かれています。本来後継ぎは花井半次郎の長男俊介であるはずなのに、半次郎が倒れた時自分の代役に喜久雄を指名するところから盤石と見えたシステムにひびが入ります。「血と芸」の狭間で動揺する人々の心情と行動、離反と再会、生と死の宿命などが物語を交差し、ただ美しいだけでは説明できない歌舞伎の奥深さを垣間見せることとなります。しかし舞台に女の入り込む隙は無い。歌舞伎の歴史を辿れば、別の解釈もあるのかもしれませんが。

かくて様々な角度から問い質し、思い返せばいくらでも更なる疑問が湧いてきて、汲めども尽きぬ興味をかきたてる映画です。「面白かった」「綺麗だった」「哀れで涙を誘われた」「もっと主人公たちの運命を観ていたかった」などなど、十人十色の感想があちこちで語られていることでしょう。観客動員数が映画の質を決めるものではありません。歌舞伎通が見たら、「とんでもない」と思う要素もあるかもしれません。それでも人を惹きつけてこそのエンタテイメント。興行的な成功はどんな評言より雄弁に作品の魅力を証していると思われます。何度も観に行きたくなる映画です。

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