初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2023年 3月6日

散策思索 30

「GIFTを受け取って」

 

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          散策思索30  「GIFTを受け取って」

                                              北田 敬子

Giftは多義的な言葉だ。贈り物として差し出したり、受け取ったりするものであり、かつ「天賦の才」という意味もある。Gifted childとは早熟な天才、飛びぬけた才能を示す子供を示す。ただし、現在わが国で語られるgifted childの分かりやすい定義はIQ130以上の持ち主で、国内に250万人いるとの調査もある。(NHK クローズアップ現代 知られざる天才 ギフテッドの素顔調べ 2019年8月28日。)同番組では「ひふみん」こと、棋士の加藤一二三氏が取り上げられ、(当時)59年前の大山康晴名人との1局を今でも鮮明に再現できることが紹介されている。

ひふみんが登場するなら、現代の我々にとってさらになじみ深いのは棋士の羽生善治であり、さらに藤井聡太であろう。藤井は14歳2カ月でプロ入りし、2023年3月7日現在「竜王」「王位」「叡王」「王将」「棋聖」の五冠。彼の最終学歴は(名古屋大学教育学部附属)中学校卒。あと二か月で卒業というところで同大付属高校を中退したことはよく知られている。gifted childにとって同じ一つのカリキュラムをこなすことが義務付けられている学校教育は、特に必要ではなかったということだろう。報道記事では、藤井が読書好きで豊富な語彙を持ち、インタビューにおいてしばしば当意即妙の、若者にしては一風変わった言葉で応答することが伝えられる。将棋のみならず言語の運用能力にも秀でた才能を持つことが示されていると言えよう。ましてや、AI将棋を駆使した自己トレーニングのこと、パソコン自作を趣味とすること(これによってさらに高性能なAIをわがものとする由)などが周知の事実となっている。目の前にいるgifted child(藤井本人は既に20歳だが)は目覚ましい戦歴で将棋への我々の関心をいやがおうにもかきたてる。

そしてもう一人、2022年にプロアイススケーターに転じた羽生結弦もgifted childだろう。既に28歳となった彼をchild呼ばわりするのは不当なのかもしれない。だが、早くに才能を表し、二度のオリンピックのフィギュアスケート部門で金メダルを獲得し、数々の国際大会において百戦錬磨の記録を持つ羽生が上記のIQによる定義とは別枠のgiftedであることは確かだろう。

昨今我が国においても、特別な才能を持った子供を伸ばす「ギフテッド教育」という概念が導入されているのを耳にする。同時に突出した才能の如何を問わず、子どもたちがそれぞれの方向に向けて学ぶことを支援する試みも行われるようになった。教育は学校で統一されたカリキュラムの下にという考え方から、様々な可能性と多様性の尊重という価値観のシフトが緩やかに、確かに進行していると思われる。その両面を押さえたうえで、gifted childの一人を目の当たりにしたのが、羽生結弦のワンマンショーであった。

2023年2月26日、私は初めて東京ドームに入った。野球観戦ではなく、一夜限りのアイススケートショーを見るために。ドーム内にリンクが設営され、映像とライティング(プロジェクトマッピング)、フルオーケストラやビッグバンドによる音楽演奏の渦巻く中で、羽生結弦が"GIFT"と銘打つソロ公演を行った。観客数3,5000人。"ICE STORY"なる自らの来し方を語る彼の独白は瑞々しくも拙く、滑舌も良くない。だがこれまでの競技会で披露したプログラムを織り交ぜ、新曲やロック調のナンバーで滑る羽生結弦の圧倒的なスケーティングは批評を封殺するような威力を発揮した。優れたアスリートが競技生活を終えた後、どう生きていくかを問う実験劇場にも見えた。修練を重ねて前人未踏の成果を世に問い続け、どんなに称賛と顕彰を重ねても、「僕は一人だ」という彼の呟きが耳に残った。妙技というGIFT(贈り物)を観客に差し出す彼が、GIFT(才能)を授かった人間の歓喜と苦悩から逃れられないことを体現していたと思う。

自身を物語るナレーションの部分はいずれ創作集団CLAMPとのコラボレーションで絵本として発売されるという。プロ転向宣言をして以来、羽生の打ち出すイベントは規模の大小を問わず衆目を集め、GIFTも高額の入場料にも関わらず、高倍率の抽選を潜り抜けた幸運な者だけがチケットを入手できるという「希少価値」を生み出した。それを補填するため、映画館でのショーの同時配信やディズニープラスでの放映など、映像の形で公開する手法がとられた。どのような企画者やマネージメント業者が背景にいるのかは定かではない。しかし、自身を稀有な「演技者」と捉え、何が出来るか・どのように実現するか・最大の効果を生み出すには何が必要かを、冷徹に眺める客観性を羽生は持っているように見受けられる。

これまでのところ彼は直覚的な見通しと、これまでに培われたたぐいまれな実績、他者を寄せ付けぬスキルで観客を魅了している。アマチュアリズムに則ったスポーツを、「スポーツエンタテイメント」というジャンルに転換するという力技をほぼ独力で達成しているかのようだ。しかし、そのような「稀有な技とビジネスセンス」の融合のロールモデルはいるだろうか。いささか突飛な発想かもしれないが、人間国宝の坂東玉三郎、バレエダンサー・芸術監督・実業家としてKバレエカンパニーを率いる熊川哲也のような大先達はいる。その人々と比べるには余りにも若く未熟な羽生だが、心技を磨き続けてきたという点では有望な後輩であろう。一日たりとも練習を怠らず、ストイックなまでに自制しつつ、前人未到の技に挑戦し続けるのは本人が語る様にいつも「一人」である点も同様かもしれない。

いずれ、現在は魅力の一つである無謀なまでの力技を商品価値にできなくなったとき、単独公演では立ち行かなくなったとき、そして加齢によって肉体に変化が訪れたとき、このスケーターは彼を取り巻く文化の文脈からどのように滋養を汲み上げ、新たな境涯に結び付けていけるかが問われていよう。歌舞伎ともバレエとも異なるのは、アイススケートが大衆を観客とする「見世物」として未だ確立されていないことだ。点数を競い合うコンペティションで「瞬間芸」ともいえる大技を披露することと、芸術性を備えた技能を深化させ、持続的に発展させていくことは異なるだろう。一人で成しえるとも思えない。フィールドに真の競争者・同業者を迎え入れた時から、そのジャンルは成熟の可能性を持つ。海外にはショーの伝統がある。舞台は自国だけでないのは明白だ。しかしそれはさらにハードルの高い挑戦であることも間違いない。

“Tour de force”(芸術作品の大作)を美術館で鑑賞すること、演劇や文学作品に見出すことに大きな喜びを感じる人々はいる。彼らは作品を消費するだけの存在ではない。作品を享受し共鳴する。GIFTはその時、gifted childだけのものではなくなる。私は可能性を十分感じさせる舞台を見たと思う。

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