初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2020年 11月19日

散策思索 24

『トンネルの先』
コロナ徒然-3

 

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散策思索24  「トンネルの先」―コロナ徒然-3

                                              北田 敬子

トンネルを抜けると、海の上にいた。願っていた紺碧には程遠く、水平線も定かでないようなぼんやりした鈍色の空と海だった。それでも私は久しぶりの海面の広がりに胸を躍らせた。

自分で運転できる人には何でもないことが、私には越えがたい障壁になることがままある。長い間東京湾アクアラインを通って「海ほたる」に行ってみたいと思っていた。トンネルと橋で出来た高速道路が東京湾を横断してベイエリアと木更津をつないでいるとは、どんなものだろうと常々好奇心を募らせていた。バスでアクアラインを利用して千葉県と東京都心間を通勤する人もいるそうだから、これは観光道路ではなく、物流と人的輸送の確固たる産業道路である。聞けば構想から着工・完成まで30年以上の時間と総工費1兆4,000億円を費やして1997年に完成したものだという。この20年以上前にできた道路を私は今初めて通るのだった。

私の願いを聞いて車を運転してくれた友人は、「横浜に住んでいると海なら湘南に行くし、山なら箱根かな。千葉は遠かった。でもアクアラインのおかげで、内房でも外房でも気軽に行けるようになって便利よ。前はアクアラインの料金がとっても高かったけれど、今は何と\800―ETC車割引後料金―。助かるわ」と言う。「でもね、アクアラインはほかのトンネルよりずいぶん長いの。だからいつになったら先に明かりが見えるのだろうって、最初の頃はちょっと不安だった。今はもう慣れたけど。」 確かに、海底トンネルには途中で自然光の見える場所などあるわけがない。青函トンネル(53.85km)や英仏海峡トンネル(50.5km)に比べたら、アクアトンネル(9.5km)はちっとも長くないのだが、何しろこちらは鉄道専用ではなく、車両専用海底道路トンネルとしては世界一の長さである。

「海ほたる」はトンネルと橋の結節点にある人工島のパーキングエリア。ここを目的地としてレジャーに訪れる人たちもいる。先日オンライン授業のクラスで学生の一人が作文に写真を添えて「海ほたる」について書いてきた。まるで豪華客船の舳先から大海原を見晴らすような構図に私は感嘆した。これは行ってみなければ!車のない私が「海ほたる」に行くには都心のバスターミナルから高速バスに乗るか、知り合いのドライバーを探すしかない。件の友人に相談したら二つ返事で引き受けてくれた。持つべきものは、である。しかもこのコロナ騒動下、果たして「密」を避けることができるだろうかと半信半疑だったが、平日の昼頃を選んだので渋滞に巻き込まれることもなく、僅か30分ほどで横浜からベイブリッジ経由でトンネルを抜けた。

往路は先ずアクアラインの全長を踏破した。友人曰く、「せっかくだから千葉で美味しい魚を食べて来よう。ついでに野菜でも干物でも買い物もできるし。」それはまた豪勢な。わざわざ千葉までランチと買い物に行くとは!思いがけない小旅行ではないか。アクアブリッジを渡ると、一気に鄙びた田園地帯になった。そのまま「冨浦道の駅」とやらまで走るという。「冨浦」と聞いて、私の記憶の鐘が鳴った。中学生だった頃に、臨海学校で行った海辺だ。全員で遠泳をしたのに、私は途中で棄権した。何と意気地のない中学生だったことか。今でも後悔している。潮騒や朝の浜辺を鮮やかに思い出す。

友人が連れて行ってくれたのは、「道の駅」の一角にある回転寿司の店だった。内心「えっ、千葉まで来て回転寿司?」と思わなくはなかったが、「ここは美味しいのよ」と店に入る彼女に迷いはない。「ほら、ここにも」と指さす方を見ると「Go To トラベル」と「地域共通クーポン取扱店舗」の表示。なるほど、このようにして人は移動し、補助を得て各地での飲食に金を支払うのか。クーポンが起爆剤となって「旅行熱」が地域の活性化に資するのだな、と妙に納得する。机上の議論で「このリスキーな時期にトラベルなんて!」と眉をひそめていたのが少し恥ずかしい。こうして自分だって喜んで(思いがけない)「旅」に出たではないか。そして、回転寿司は美味かった。さらに丼ほど大きなお椀一杯の「アオサの味噌汁」の素朴な味わいは格別だった。

食後に私たちは冨浦の漁港に立ち寄った。午後の港には人気もなく、船のマストのてっぺんにトンビが止まっていた。じっとしている姿はカラスのようだが、仲間が天空を旋回しているのを見れば、トンビに間違いない。海辺に来たことを実感する。岸壁を離れて少し先まで行くと、砂浜が広がった。そこが記憶の冨浦海岸とは思えなかったものの、穏やかな波打ち際に佇むとCOVID-19感染拡大の最中であることも忘れる。傾き始めた太陽が淡い光を海面に広げ、波が光る。海へ来た。本当の海だ。

帰路、私たちは「海ほたる」に立ち寄った。混雑時には駐車に難儀するとのこと。さすがにウィークデーの昼下がりのパーキングエリアは「密」には程遠かった。展望デッキは広々と船上を思わせる設計になっており、豪華客船のクルージングもかくやと思わせる。クルージング旅行の経験がある友人は、また行きたいという。「プリンセス・ダイアモンド号」の災難を思い出さないかと問うと、「あれが良い経験になってこれからのクルーズ船は進化するはず」だとの意見。クルージングという旅の選択など考えてみたこともない私は面食らった。おそらく私はクルージングで全行程を巡る旅はしないだろうが、旅先の海辺で短い船旅に出ることはあるだろう。New Zealandでホエールウォッチングに出たり、フィヨルドを巡る船に乗ったりしたことは記憶に新しい。人は船旅に憧れる。舳先で両手を広げ「タイタニックごっこ」をしていた人々の姿も忘れがたい。あのような大らかな旅を再開できる日はいつ戻ってくるのだろう。

「海ほたる」は解放感に満ちた人工島だった。周囲全方位が海という光景はCOVID-19騒動で自宅に押し込められ、年がら年中パソコンの画面に向かって仕事をする者にとって、しばし心身を開放するこの上ない空間だった。ただ同時に意識せざるを得ないのは、そこが東京湾の真っただ中であるという事実だ。 太平洋に開けた地点もあるはずなのだが、肉眼でそれと確認するのは難しい。何を贅沢なという自分の声が聞こえる。東京湾の広さを知り、そこで繰り広げられる活動の多彩さに思いを馳せ、これほどの道を海中・海上に建設した人々の努力を称えよという声も。しかし、人の力の強さを思えば、同時に人の無力にも思いが及ぶ。人の力ではどうにもならない事態に今、我々は直面している。

いつ抜け出せるかわからないトンネルの中で、誰しも光を求めている。出た先の世界に光が満ちていることを祈る。ウィルスから逃れられる場所はないことを認め、波立つ心を鎮める努力をするしかない、今。   

 

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