初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2020年 8月05日

散策思索 22

「コロナ徒然」-1

 

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「コロナ徒然」-1

北田 敬子

新型コロナウィルス(COVID-19)が世界中に拡がり、2020年はこの名で記録・記憶されることとなりつつある。TOKYO 2020という祝祭の予定は見事に吹き飛んだ。中国で2019年末に流行が確認されて以来約半年で、グローバルにもローカルにもCOVID-19出現以前と以降では社会の様子がすっかり変わってしまった。しかし、災禍のピークを過ぎたと見なされる地域では徐々に日常生活再開の動きが始まり、人々はそろりそろりと閉鎖領域の中から外へ足を踏み出しつつある。第二波、第三波の襲来を怪しみながら。

我が国の都市周辺を中心とする感染は一旦落ち着いたかに見えたものの、緊急事態宣言解除後にむしろ津々浦々に拡がり、日々の感染者数は増加した。「不要不急」の外出を戒める一方、旅に出て各地の観光事業を潤すようにという政府主導の「Go To トラベル」なるキャンペーンが打たれるかと思えば、お盆の帰省は高齢者へのウィルス土産が懸念されるので控えられたいといった整合性に欠けること挙げが続く。経済活動の低迷に効く特効薬は今のところ、無い。ウィルスに効くワクチンが未だ無いのと同様に。
これからは「コロナと共に暮らすしかない」として称揚される「新しい生活スタイル」の一つは、「リモート勤務」だ。またの名を「テレワーク」。職場に出勤せず、自宅でインターネットを介して業務を行い、同僚との会合・顧客との折衝なども画面越しに行う。これには「やればできるものだ」という反応と、「直接顔を合わせなくては埒が明かない」という懐疑派が相半ばする。そもそも実際のヒトやモノを相手にする業種には不可能なスタイルだから何もかもがこれで解決するわけもないが、ラッシュアワーの「通勤地獄」が都市部に住む勤労者にとって「不可避」のノルマではなかったことが明らかになった。

2020年の春、日本でも突如閉鎖された教育機関がCOVID-19の影響をもろに受けた。朝、賑やかに登校していた小学生の気配が通りから消え、制服姿でぞろぞろ歩き回る中学生の姿も、自転車で颯爽と駆け抜けてゆく高校生も消え、そして全国の大学で構内立ち入り禁止の知らせと共に「オンライン授業」が開始された。早くから海外の情勢に目配りし、大学も学生もインフラを十分に備えていたところは4月から、半信半疑で感染者拡散の様子や政府の方針を窺っていたところは5月になってから、一斉にそれは始まった。「準備が未だ」などとほざく余裕は無い。それしか他に方法はなかった。殆どの大学で夏休み前まで続き、小・中・高と学校が普通授業に戻っていく中、後期も今年度いっぱいは「オンライン授業継続」と宣言する大学も多い。対面授業のない大学とは、まさに前代未聞の事態である。

専任職を退いた後、私は二つの大学で非常勤講師をしている。どちらも号砲が鳴ったのは5月の第一週で、それまでの数週間に私は及ばずながら自分にはどのような形のオンライン授業が出来るだろうかとあれこれ試してみていた。(おそらく他の教員も皆、手探りでトライアルに務めていたはずだ。)何せ誰にとっても初めての経験なので、大学側も最初から「この方式で」などという指針を出すほどの余裕はなかった。一つの大学では、急遽集められた「オンライン授業対策委員会」が現有するシステムとリソースを活用してできることを洗い出し、マニュアルを作成し、デモ画像・映像を用意し、当座の授業モデルを作成して専任・非常勤の別なく全教員に公開した。

大きく分けて「オンライン授業」の方法は三通りある。1. Zoomに代表される「会議方式」を利用し、リアルタイムで教員の指導の下、学生たちがバーチャルな「教室」に集って授業に参加するもの。2. あらかじめ教員が作成した動画を配信して、学生はそれを見ながら授業を受ける方法。3. 授業内容を書き込んだファイルや資料を配布して学生に課題を与え、それを回収する方式。教員はそのどれを利用しても構わないが、大学のネットワークと学生個人の通信環境に負荷をかけすぎない配慮を、という通達が大学から出た。何処でも基本的には教員が自由に手法を選ぶ裁量が認められていたと私は認識している。
何しろ2020年は多くの教育機関で「卒業式」も「入学式」も行われなかった。その段階から学生たちは「オンライン入学式」「オンラインオリエンテーション」と仮想空間で集うことを受け入れざるを得なかった。大学毎に学生と教員を結ぶネットワークシステムはここ数年で大分整備されてきてはいたものの、全学を挙げて臨むのは初めてのことだ。A大学ではMicrosoftのOffice365と学内伝達システムを組み合わせて授業を行う。B大学では別の会社のネットワークシステムを使う。友人の中には3大学で3システムを活用しなければならない人もいた。

私は「資料配布、課題回収方式」を選んだ。英語の音声に関しては、(聴く一方になるのを承知の上で)教科書会社のストリーミングサービスを利用することとし、とにかくなるべく臨場感のある「授業」を文字で伝えようと決めた。読む習慣がないと言われ、ましてや書く習慣など滅相もないというような学生たちに毎週数ページにわたる授業資料を用意して読ませ、課題を提示して「回答」を期限内にメール添付書類で提出させる。次週には前回の課題の「解答・解説」ファイルを用意し、自学自習で復習を促す―その繰り返しに乗り出した。
始めてみると、それは予想の何倍も手間のかかる、極めて時間と労力を要する仕事だった。二つの大学併せて6つの授業に全部これを適用するとなると、なまなかな事では済まない。三つの選択肢の中では最も地味な方式にしてこれである。他の方式を選んだ方々の苦労やいかに。

最初の数回は私がシステムの使い方を間違えて学生を混乱に陥れてしまった。また、A大学の学生にB大学用のファイルを送ってしまい、「これはいったい何ですか?」の問い合わせが飛び込んできて私は 肝をつぶした。準備が間に合わず、半泣きで徹夜しかけたことも数度ならず。直接会ったことのない学生同士に互いを知ってもらう工夫をしようと、皆の自己紹介文や授業へのフィードバックを編集したファイルも作成した。「英語は難しい」「分からない」「理解が中途半端なうちに授業は先へ行く」と訴えてくる学生にも理解できるよう、「課題解答・解説」の増強も不可欠だった。その傍ら、学生から送られてくる個別の質問メールにも返信しなくてはならない。もうてんやわんやである。

Facebookを開けば大学教員同士がOnline授業の手法、問題点、学生からのクレーム、事例、疑問、提案etc.を書き込み合う「新型コロナ休講で、大学教員は何をすべきかについて知恵と情報を共有するグループ」というタイトルの膨大なフォーラムに出会う。毎日増える熱心な投稿を読んでいるだけでため息が出る。あぁ、何処も同じ、戦場のようであることよ!と。

「デジタルな蜘蛛の巣(website)」に乗る仮想空間での授業によって、私たちは学生であれ教員であれ、いつもよりずっと鋭く相手の姿を想像しながら言葉を発信しあっている。今頼れるのは電脳空間を行き交う言葉だけだ。書かなければ「存在」は認められず、学習の成果も残せない。問う方も応える方も、見えない相手に向かって必死で言葉を発しあう。したがって、私は毎週送られてくる学生からの提出課題の見落としがあってはならないと目を皿にする。単調になりやすいファイル交換に時折楽しみの要素を加えようと、学生たちから身の回りの写真を撮って英語のキャプションを書く課題を出したこともある。せめてお互いの見ているものを共有しようと「目の前の世界」というタイトルをつけて。

回収した写真を自前のウェブサイトにアップしてクラスメイトたちからのリアクションを受け付ける。かくて時間はいくらあっても足りなくなる。これが効率的なやり方だとは到底言えないけれど、オンライン上の交流は不毛だと言いきるわけにもいかない。

自粛要請で外出を極力抑え、自宅に蟄居していたからこう考えるのかもしれない。次第に外向的な生活を取り戻していけば、いずれ人は「蜘蛛の巣」を払うのであろう。教室で声を張り上げ、学生に発言を促し、当然のように板書を交えながら授業する日々が戻れば、逆に学生たちを今ほど「課題」につなぎとめることが出来るだろうか、学生たちは今ほど真剣に毎週辞書を引き、未知のことばと出会うだろうかなどという疑念も湧き上がる。皮肉なものである。

COVID-19は教育現場を震撼させる。教室に集うことだけが「当然の形態」ではなかった。教員は体験的に「これでよし」としていた自分の授業を振り返らざるをえなくなった。学生はあらためて学びに必要な時間と努力の並々ならない事を自覚しただろうし、学生同士が直接の交流を持てない焦燥感に苛まれているだろう。これが「のど元過ぎれば」にならないよう、どちらもおのれ自身の手綱を引き締める契機になれば、あながち無為の時を過ごしたとも言えまい。そして世界を見渡せばおびただしい数の犠牲者が出続け、これまで以上の難題がいくつも人類に突き付けられている。それらに対処するための創意工夫をそれぞれの場所で静かに培う時を私たちは今、得ているのかもしれない。「新しい生活スタイル」以上に重要なのは、正しく情況を把握することであり、事態が刻々と生み出す新たな挑戦を受けて立つ気概ではないだろうか。果てしなく見える日々のタスクを前にそんなことを考えながら私は暮らしている。マスクをかけたまま教室で学生たちと向き合うイメージを、今はまだ思い浮かべられないままに。

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