初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 2月 27日

散策思索 08

「Dublinに憧れて」

Home ホーム
更新・短信
The Latest Notes
新作エッセイ
Essays since 2018

08 「Dublinに憧れて」

K. Kitada

趣味は何かと聞かれたら、私が躊躇なく答えるのは「散歩です。」「読書です」と言うこともあるけれど、仕事半分だから楽しいばかりではない。半ば強迫観念に捉えられて本にかじりついていることもあるので、楽しみのための趣味と言うには語弊がある。「映画鑑賞」はどうか?もちろんこよなく好きである。心惹かれる作品のためなら何度でも映画館に足を運ぶし、よほど気に入ったものはDVDやBlue-rayでも購入する。だが、自慢できるほど数多くの映画を見ているわけではない。往年の名画について人々が蘊蓄を傾けだすと、いささか辟易することもある。さらに人前でその名を語るにはかなり勇気を要するものも含まれるから、下手なことは言えない。

その点「散歩」には罪がない。「旅行」と言うほど大袈裟ではないし、ジョギングやランニングほど身体的なトレーニングを必要とすることもない。ただ近所をぶらついても散歩になるし、目的地を定めて勇んで出かければ「長い散歩」ができる。トレッキングと称する、登山ほどはアップダウンのない整備された山道や海浜の道を、自然環境を愛でながら踏破することも広い意味では散歩に含められるだろう。要するに、気晴らしであれ健康増進のためであれ、歩きさえすれればそれは散歩だ。考えようによっては、特に標榜する趣味を持たない場合に「散歩」くらい便利で当たり障りのない答えもあまりなかろう。

しかし、私はいつの頃から散歩好きになったのか?おそらく、学生時代にJames Joyceの作品に没頭して以来だろう。20世紀初頭のモダニズム文学と言われる、言語的な実験に溢れた破天荒な作品で有名なJoyce。アイルランドの首都Dublin出身でありながら、故郷の枠にとらわれることを嫌い、ヨーロッパ大陸に出奔して世界文学を目指しつつ終生作品の舞台・素材をDublinに求めた小説家。そのJoyceが描いた(書いた)Dublinに憧れて、若い頃、私はIrelandを目指して旅に出た。作家の出身地や作品の舞台を訪れることを指して、最近では「聖地巡礼」と言う言葉が使われる。(多分昭和時代には「ミーハー」と言っていた。)Joyceの作品の登場人物が歩き回るDublinの街を、私は自分で歩いてみたかった。

Joyceは「Dublinが破壊されるようなことがあっても、私の作品があればDublinを再建できる」旨の発言をしている。それほど、微に入り細を穿つ詳細な、街の描写に凝りに凝ったのがJoyceである。果たして、たどり着いた1970年代最後のDublinの街がJoyceの書いた通りであったかどうかは怪しいけれど、街の大きな構造は変わっていなかったし、東京のような新奇な建物が林立するようなことには全くなっていなかった。ただ、Joyceの時代にはKings Townと呼ばれていた港町がDun Laoghaireとゲール語の名前に代わっていて、WalesのHoly Headからフェリーボートでアイルランドに渡るという念の入れようをした割には、のっけから期待が外れた。しかも、Dun Laoghaireは何度確かめても「ダネアリ」としか聞こえなかった。今でも正確な発音は分からない。

生まれて初めての海外一人旅ではいろいろな目にあったが、JoyceのDublinに佇んで、最も感銘を受けたのは、すべての通りに名前がついていたことだ。英語とゲール語の併記されたプレートがどの筋にも掲げられていた。もっとも経由してきたロンドンでも”London A to Z”というロンドン中の通りの名前を検索できる地図には感嘆した。だから、ヨーロッパの古い街に行けばそれは当たり前のことなのかもしれない。けれど、町名がいくらでも変わり、味もそっけもない番号の振られた「丁目」表記しかない東京の道に比べたら、なんと風情のあることか。そして名にちなむ歴史、物語がいかほど紡がれたことだろうかと、雨に濡れる街角が感銘深いものになった。(夏でも雨ばかり降っているアイルランドであった。)

爾来、私は通りの名前に興味をひかれ、名前のついている坂道を好んで歩く。とりわけ、後に就職した場所が東京の本郷と言う古い街であったことで、「旧町名」表示の案内板に導かれてどこまでも街を歩いてめぐるのが趣味になった。おまけにDublinの中心を流れるリフィー川(the River Liffey) とそれに架かる橋の景観にも魅了されたために、東京の水路にも関心を抱くようになった。都市開発の中で、多くが暗渠と化した東京の川の命運をたどることにも関心がある。(日本橋川から神田川を経て隅田川に至り、再び日本橋川をズバリ日本橋までたどるクルーズには二回も乗った。)

先ごろ元同僚がDublinへ学生の語学研修のための提携校を探しに行ってきた。Brexitに揺れるイギリスとは異なり、アイルランドはEU加盟国であり続ける。昔の旅行では通貨もIrish poundだったが、2002年以来? (euro)だ。「で、決まったの?」と聞くと、彼女は「英語の勉強をするには最適の場所だと思いますけれど、人数が集まるかどうかがネックです」と。イギリスでさえLondonに近い場所、ヨーロッパ大陸に近い場所、を学生たちは志向するのだという。ましてや海峡を越えた西の果てに行く意味を見いだせる学生がどれほど集まるか。かつてのJoyceファン高じてDublinまで行ってしまった身としては「もったいない!」としか言いようがない。

人間が自分の足で歩き回れる範囲で発見できることは少なくない。高速の乗り物で点と点を結ぶダイナミックな旅とはまた別の面白さが見える。僅かな高低差や、石畳の感触、建築物、商店に食べ物屋、看板、張り紙、そして街全体のざわめき。そういったものを「体感」できるのが散歩だ。早朝Dublinの道筋をGUINESSビール満載で走るトラック。川から立ち上るなんとも言えない匂い。駅で酔いつぶれていたおっさん。そんなものにはもちろん日本各地でもいつだって出会えるだろう。だが、「日常のありふれた情景」に面白みや特異性を見出すには、それなりに目を肥やす必要がある。その表象の奥にあるものへの眼差し。

私の住む町のギャラリーカフェで「アイリッシュハープ」の演奏会があった。店を探し歩いて、30人ほどの聴衆に混ざった。ソロ演奏もアンサンブルもあった。その密やかな音色の彼方に緑なすアイルランドの風景がよみがえる。街を行く人々の様子、パブの賑わい。するとまた私は郷愁を覚える。街を、野辺を歩き回る喜びへの限りない憧れを。

Notes:
James Joyceの作品: Dubliners 『ダブリン市民』, A Portrait of the Artist as a Young Man 『若き日の芸術家の肖像』, Ulysses『ユリシーズ』, Finnegans Wake『フィネガンズウエイク』
(DublinではJoyceにちなむ場所が観光名所となっている。「巡礼者」は世界中から今も絶えない。)

初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 2月 27日
Home ホーム
更新・短信
The Latest Notes
新作エッセイ
Essays since 2018