初出
朗読文化研究所通信 
「朗ら朗ら」第36号
2018年 9月 20日

喫茶古 01

築地

Home ホーム
更新・短信
The Latest Notes
新作エッセイ
Essays since 2018

「築地」                   

K.Kitada

朝と夕では築地は全く別の街だ。午前の喧騒と午後の静寂は街の色を染め変える。

アメリカから来るサマースクールの一団に築地を案内しようということになって、大学の同僚がゼミの学生たちを連れて下見に行くというので私も同行した。

午後到着すると既に場外市場の店はあらかた閉まっていた。特に鮮魚をさばきながら売る店には人の気配がない。名物の卵焼き屋も、普段なら串焼きのイカやホタテをいい匂いを立てながら売っている店もおしまい。かろうじて荒物屋や乾物屋、豆屋などが開いているばかり。学生たちは拍子抜けしている。縦に横に細い路地を行き来する運搬車や自転車も姿を見せない。流石に寿司屋の何軒かは無休で人を集めているが、呼び込みの店員が大声を張り上げる活気はない。場内市場の受付に寄り、いずれ見学したい旨を伝えて案内を乞ううちに、「ここが競りをやる場内か!」と感激してフラフラ入り込みかけた者は「ダメですよ、入っちゃ!」と威勢の良い声で叱り飛ばされた。

市場の隣にある波除神社に詣でてから私たちは隅田川テラスへ向かった。勝鬨橋はいつ見ても圧巻だ。かつて大型船舶を通すためにこの橋が開閉していた事を学生はおろか若い教員も知らない。私の記憶の中ではハの字に開いた橋の様子が目に浮かぶのだが、果たしてそれは子供の頃実際に見て覚えているのかそれとも写真で見ただけなのか、自信がない。

私は東京都墨田区押上に近い向島で生まれた。父親の転勤に伴って、五歳の頃にはもうその土地を離れたのだけれども、向島で指物師をしている叔父叔母がいたので子供時代にはよく泊りがけで遊びに行った。一階の土間が店になっていて叔父の作った卓袱台が整然と積み上げられている。その脇に三畳ほどの仕事場があり、手ぬぐいで鉢巻きした叔父が日がな一日木材にかんなをかけたりヤスリでこすったりしていた。上にも下にも畳の部屋はひと間ずつしかなかったが、階段を上がったところにある板の間には制作途中の卓袱台がニスの乾くのを待ち、脚を取り付ける前の天板が並べられていた。

その商売道具の間で、あるとき飼い猫が子供を産んだ。「脅かしちゃいけないよ」という叔母の声を背中で聞いて、私はそっと様子を見に行き、猫が産みたての子の体を熱心に舐めるのを見て食べているのではないかと訝しんだものだった。釣り好きの叔父が獲ってきた鮒を水槽に入れて飼っているのを飽きずに眺めていたこともある。(今思うとあれは鯉だったのだろうか。)叔母が私たち甥姪を遊びに連れていってくれるのは隅田川の向こうの浅草だった。京成電車が鉄橋を渡ると対岸のデパートの中腹に吸い込まれていく。その瞬間に異界に行くようで胸が高鳴った。

隅田川に出ると、今でも私は胸が鳴る。川風を浴びると嬉しくなる。勝鬨橋の先でいよいよ川は東京湾に注ぐ。水は太平洋に流れ出すのかと思うと気宇壮大な思いに満たされる。しかし、学生の一人が「なんか変な匂いしない?川、臭くない?」と言い出した時には慌てた。「え、これでも昔よりずっと綺麗になったのよ」といくら言っても若者の嗅覚は正直だ。清潔な生活環境に比べると、どうやら隅田川には未だ浄化の余地があるらしい。

案内当日の朝、築地場外市場は国内外から来た見物人で押すな押すなの大盛況だった。身動きもままならない。差し出される試食の皿、「安いよ」と叫ぶ呼び込みの声、人の間を縫うように進む荷車。マグロの解体ショーをする店の前には黒山の人垣。まさにアジアの混沌だ。アメリカ人・日本人の別なく、学生達には異文化との出会いだった。喧騒を抜け出して隅田川へ出る頃には、両国の学生たちは自然に混じり合っていた。

間もなく築地市場は場外を残して閉鎖され、豊洲へ移るという。江戸の昔から賑わってきた街の行く末が案じられる。せめて川風の吹き渡る一角を高層建築で塞ぐことだけは勘弁してほしい。浅草から浜離宮、お台場まで観光船が行き交う川の風物も手放したくない。語るべきもの、伝えるべきものがなくてはどんなもてなしも空しいだろう。訪日観光客を案内するたびに、私自身もこの国を再発見する。日本語と英語の間を行き来しながら日本語の深さに触れるのと同じように。語る音の響きが相手に届くようこころを込めながら。

初出 朗読文化研究所通信 
「朗ら朗ら」第36号
2018年 9月 20日
Home ホーム
更新・短信
The Latest Notes
新作エッセイ
Essays since 2018