| 友へ なんとしたことか、昨日自転車の転倒事故を起こしてしまいました。午前9時頃、自宅から最寄りの武蔵野線「新小平」駅へ向かう途上、
 「萩山」駅南口のロータリーを江戸街道の信号に向かって急いで
 おりました。直前まできっと渡れるだろと思っていたのですが、
 信号機は点滅状態から赤信号に変わりました。強行突破は無理だ
 と判断し急ブレーキをかけたのですが、私の乗っている電気アシ
 スト自転車にはそれなりに勢いがついており、小雨の中ロータリー
 の敷石が滑りやすくなっていたものか、うまく停止できず私の体
 が外に放り出されたようです。
 その瞬間のことは全く記憶にありません。はっと目を開けたら心配して覗き込む人たちの顔がいくつか見えました。「大丈夫で
 すか?」との問いかけに、「はい、なんとか」などと答えつつ
 身を起こそうとするのですが、痛みで腕にも足にも力が入りませ
 ん。「イタタ・・・」と言ったなりへたりこんでしまったようで、
 次に気づいたときは救急車の中でした。渡されたハンドバッグの
 中から咄嗟にケータイを取り出し、先ず大学の教務課に本日休講
 の連絡をしました。その後また記憶が途絶え、次に気づいたとき
 は小平市の多摩済生病院で車椅子に乗せられるところでした。
 まず運び込まれたのがレントゲン室です。なんとか立ち上がって機械に張り付きました。上半身の撮影だけでしたので、足腰に
 異常はないと医師が判断したのでしょうか。(そのあたりもしか
 とはわかりません。衣服着脱の記憶もありません。)
 整形外科の診察室の前で車椅子に座って待っているあいだ中、自分の身に何が起こったか反芻しようとするのですが、なんだか気
 力も失せ、ボンヤリしておりました。診察室に入ると医師は「骨
 折の形跡はありませんね」と言い、「どことどこが痛いですか」
 との問診に、私は「胸と左肩、背中です。」と答えました。我に
 なく寡黙でした。打撲の手当に湿布薬と痛み止めと胃薬を処方し
 てくれました。
 てっきりそのまま入院させられるのだろうと思っていただけに拍子抜けでしたが指示されるまま病院最寄りの薬局へ薬を買いに行
 きました。その間に、受付の人が救急隊に自転車がどうなってい
 るかを問合わせてくれることになっていました。木立の中にある
 病院は静かで、色付き始めた木々の葉が陽光に揺れています。先
 程までの小雨は上がったようでした。のんびりした平和な風景で
 自分の打撲傷の痛みとは別世界です。
 受付に戻ると、「救急隊に連絡がつきました。自転車は鍵をかけ駅前の(今は閉鎖されている)スーパーの前に置いてあるそうで
 す。」とのこと。鍵はちゃんと私のバッグのポケットに入れてあ
 りました。自分で入れたのか、救急隊の人が入れてくれたのか全
 く記憶にありません。
 再び病院の玄関に出て、はてさて萩山駅までどうやって戻ったものかと思案しました。タクシーを呼ぶほどの激痛というわけでも
 ないし、いつ来るか判然としない市内循環ミニバスを悠長に待っ
 ているのもどうかと思うし、ま、歩こうかということで病院から
 徒歩数分の西武新宿線小平駅に向かいました。「ウオーキングな
 ら任せてください」と日頃豪語している(?)我にもあらず、一
 歩一歩が重たくて驚きました。授業に行く予定で本やノートを詰
 め込んだ肩掛けカバンもズッシリ感じられます。つい数時間前に
 遅刻してはなるまじと必死にペダルを踏んでいた勢いはどこかに
 消えてしまいました。
 小平から萩山までは一駅。すでに通勤ラッシュも遠のいた車内はガランとしています。私は夢見心地で先ほどの事故現場に戻りま
 した。伝言の通り、自転車はきちんと施錠されほかの自転車とと
 もに駐輪場において有りました。振り落とされた自転車にまた乗
 るのは少し怖かったのですが、そこに放置して行くわけにもゆか
 ず、そろりとまたがり今度はゆっくり自宅に戻りました。
 主に左側の上半身が痛みます。鎖骨下や肋骨の真ん中あたりが痛むのはどうやら自転車が私の胸の上に倒れ込んだためかと思われ
 ます。背中や肩の痛みは地面に叩きつけられた時のものでしょう。
 左脚ふくらはぎの側面が痛むのも、同膝小僧が痛むのも、落ちた
 時の衝撃によるものと思われます。自宅へ戻り、先ほど片付けた
 ばかりの布団を再び敷いて身を横たえました。驚いたのは、身を
 起こしている時より寝ている状態の方が辛いということです。痛
 みを直に感じさせられます。左方向への寝返りはままなりません。
 では起きようかと思うと、腰にも腕にも力が入らず体は自由にな
 りません。思ったより打撲は激しいものだったかと初めて自覚し
 た次第です。
 どうやら今週いっぱい休業を余儀なくされる模様です。こんな満身創痍状態で無理して授業に出てもろくなことはできないでしょう。
 事故の原因は、ギリギリに家を飛び出して焦っていたこと、電気ア
 シスト自転車の扱い方に不慣れであったこと、小雨での路面の状態
 認識が甘かったこと、そして何より、日頃の疲労が蓄積しており
 心身ともに柔軟性を欠いた状態であったことなどが考えられます。
 来月には還暦を迎える私。この度の事故は「身の程を知れ」という警告であったかと思います。もっと若かった時のように、猪突
 猛進で何事も切り抜けて行こうとするのは無謀であると、もうそ
 のような無理の効く時代は終わったのだと、肝に銘じなくてはな
 らないのでしょう。仕事と高齢者介護という二足のワラジを履い
 て暮らす我が身をもっと大切にしないと共倒れになる危険大いに
 あり、という警告だとすると・・・身の毛がよだちます。確かに、
 その夜いつもの通り義母の着替えや就寝介助をしようとしても力
 が入らないことに気づきました。一つ一つの動作の速度が介護さ
 れる側とする側で大して違わないのです。冗談ではなく、「老老
 介護」の始まりかと思ました。
 義母のところに通ってくださるヘルパーさんからは、「打ち身の痛みは長引きますからご用心ください」と言われました。痛みは
 ボコボコに殴られた後のようなのではないかと想像しています。
 漫画の主人公ならどんな戦いのあとでも何事もなかったかのよう
 な顔をして次の場面に臨みますが、生身の(とりわけもう若くな
 い)人間にとって、怪我の修復に時間を要することは甘受しなく
 てはならない現実なのでしょう。
 いつもは車椅子を押す側の人間が車椅子に乗る側に回ってみて、立場の転換などいかに容易いことかを経験しました。日頃当たり
 前におこなっている動作や所作がどれ程全身の骨や筋肉の働きに
 支えられているものなのかも実感しました。無理はできないとい
 うことも。この現実と直面して、これからどう生きていくか考え
 ないわけに行きません。ここは経験値と自覚に基づいて地道に、
 しかし人生が新たなフェーズに入ったことへの飽くなき好奇心を
 持って快活に、攻防ともにあるような生活にしなくてはと思います。
 加齢による困難が我が身に及んだとき、戸惑いながらもそれを認めるしかないなら、潔く正面から受け止めるに如かずと観念した
 昨日の出来事でした。
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