- Page 8 -

From Yuko to Keiko 8/3/1999 「Oxfordから(3)」 (Oxford)
From Keiko to Yuko 8/3/1999 「Re:Oxfordから(3)」 (Tokyo)

From Yuko to Keiko 8/3/1999 「Oxfordから(3)」 (Oxford)

Dear Keiko

メールありがとう。 今朝、夫とあと二人女の子たちが帰っていきました。 息子は学校。娘は屋根裏で何やらゴソゴソ。

>そんなに驚くべきことかしらねぇ。どうも、もう一つぴんとこないのは、
>人は気軽にメールのやりとりをし始めたりやめたりするものだから

Mind you, 私にとってメールはとても新しい手段だから あなたと同じような感覚で気軽にとはいかないわけよ。 まだまだ私は郵便の封書感覚でとらえているわけで、 今まであまりパーソナルな関係で無かった人と 突然、何かのきっかけで手紙のやり取りをはじめることはあっても それは、「気軽に」ではないから。

パソコン通と言うかメール通のひとたちには当たり前のことでも 私はまだそんな人達と肩をならべるような使い方はできない。 できるようにもならないとも思う。できるようになりたいかと言うと 今のところその気はない。

私がメールを何とか覚えたのは、たまたま この方法のコミュニケーションを一番、得意としている人がそばにいるからであり、 この方法で自分を一番率直に表現してくれるからなのです。ただ、私にとってその人は今、とても大事な人です。そして、もっと コミュニケートしたい気持ちでいっぱいなのです。

私は、選択できるなら、面と向かって話すか、電話で声を聞きながら の方を好む。ちょっと違うかもしれないけど、たとえば、あなたが 必要性があれば車の運転はやれるけど、移動手段として、自分が 運転するのをそう好まないのと似てるかも。これからの時代のスピードに ついていけないかもしれないと恐れつつ、しかし、好まないものは 好まない。

でも、どうしても、どう考えてもこの方法がこの場合ベストだったり、 この方法しかない時は死に物狂いでなんとかする。手に入れたい物のためには 努力は惜しまない。これはあなたも私も程度の差こそあれ、同じじゃない? だから、もしかしたら、また私はメールを使わなくなるかもしれない。

おしゃべりしているうちに、娘が買い物に行く時間だったはずだと ブツブツ言いはじめました。

あなたのホームページは、 もちろん「変身」以外のもいろいろ開けて読んだよ。 身近な人に「変身」を読んでみてとお勧めする前に、あの中の中島みゆきのことに ついてもアクセスしてみてとメールした。要するに、私だってシャイなところはある ので 私についての素晴らしい宣伝材料の「変身」だけをずうずうしくもおすすめしたりは できなかったわけ。私はあなたの「変身」以外のコラムにも当然興味があったから その中の、他の人にも興味がありそうな部分でまず、Keikoが書いているものを 読んでもらいたかった。そして、読んだ人があなたの書いているものに興味があれば その人の書いている私についての文章も読んでくれるだろうと思ったわけよ。 あなたが「宣伝上手」と言ったのはそれがわかってたからでしょう。 そんなわけで、中島みゆきの前に堂々と 我が事を持ってくる心臓はなかったてこと。話しがそれちゃったね。

Guest Bookについては昨夜、トライしてみたけど、日本での時と違って、 なぜか、途中からアクセスできなくなてしまうの。ビギナーなのでしかたがないか。 夫に頼んでみたけど、かれもよくわからなかった。 帰国してから、会社のパソコン通の人に聞いてくれることになってるんだけど、 心もとないね。UK1を通しているのだけど・・・

>「非論理的だぞ」と叱られることが多くて。

レトリックに拘るつもりはないけど、論理的なことと 知性的なことは同じじゃないでしょう? コンピューターが非論理的なことを受け入れないのはしかたないけど、 人間は非論理的であってしかも知性的でもありうると思うよ。 コンピューター的な人間ならば、まず論理的でなければ、 その先にアクセスできないだろうから、他人を非論理的だという理由で 非難するだろうけど、ごめんよ、あたいは非論理的であることを 楽しんじゃうからね。非論理的だって事は人間くさいってことかもよ。 こう言うことがだいたい、非論理的な話しの進め方なのかもね。

さて、買い物に行くとするか・・・

From Yuko


From Keiko to Yuko 8/3/1999 「Re:Oxfordから(3)」 (Tokyo)

Dear Yuko

お便りどうもありがとう。 それから、ゲストブックへのご記帳感謝いたします。

e-mailについて書き始めるときりがないけれど、 一度にあれもこれもというより、ほんの少しずつ、オンラインで言葉をやりとりするというのは、とても味わいのあるものではないかしら。私は対面でのおしゃべりも好きですが、メールでだけお話しする純粋な喜びも大切にしたいと思っています。メールというのは、いつ突然の遮断が訪れるか分からないものだけに、言 葉を交わしあえるときにはその喜びに浸ることにしているの。

>私にとってメールはとても新しい手段だから
>あなたと同じような感覚で気軽にとはいかないわけよ。
>まだまだ私は郵便の封書感覚でとらえているわけで、
>今まであまりパーソナルな関係で無かった人と
>突然、何かのきっかけで手紙のやり取りをはじめることはあっても
>それは、「気軽に」ではないから。

もちろん私だって「気軽に」ばかりではないですよ。何人もの人たちと出会って は別れ、また出会い、切りつけるような言葉を受けることもあれば、涙がこぼれる ような言葉に出会うこともある。メールを交わしあう多くの人が、一生まみえる ことのない人かもしれない。それでも、言葉や画像でオンライン上で出会うこと もまた、この世の出会いの形の一つであると実感できるようになってきました。 だんだんレトリックも学ぶし、駆け引きも、戦略も覚えるし、議論するマナーも 身に付いてくる。言葉が好きなものにとってはたまらない意志疎通の形です。

>私がメールを何とか覚えたのは、たまたまこの方法のコミュニケーションを一番、
>得意としている人がそばにいるからであり、この方法で自分を一番率直に表現し
>てくれるからなのです。

そこが一番のポイント。その人とどうすればもっともよく意志疎通できるのか、 がね。分かる気がします。外に対し人が持っている表現手段は様々でしょう。 面と向かったときにはどうだか知らないけれど、多くの場合心の言葉はそう 簡単に出てこないかもしれないし、ましてや言葉以外のコミュニケーションを図 るとなると、よほどでなければ。もしかするとあなたの現在のメール相手はあなたがこれまでに付き合ってきたどの人も違うかもしれません。

>でも、どうしても、どう考えてもこの方法がこの場合ベストだったり、
>この方法しかない時は死に物狂いでなんとかする。手に入れたい物のためには
>努力は惜しまない。これはあなたも私も程度の差こそあれ、同じじゃない?
>だから、もしかしたら、また私はメールを使わなくなるかもしれない。

誰であれあなたにとって大切な人がメールを好むなら、メール交信は続けた方がよいのではないかと思います。メールで話のできる人を簡単に手放してはいけないわ。

>ただ、私にとってその人は今、とても大事な人です。そして、もっと
>コミュニケートしたい気持ちでいっぱいなのです。

それが恋ってもんよ。お大切に。

>レトリックに拘るつもりはないけど、論理的なことと
>知性的なことは同じじゃないでしょう?

どうかな。少なくとも私は論理的ではないことが自慢できるようなものでないの だけは、最近自覚しています。それから、知性的かどうかも怪しい、自分が。 どっちも甘すぎると思う。画面に向かって言葉を打つようになって以来、自分を 別の角度から眺める習慣が付いたようです。そうなるに当たって影響を及ぼした 人、人々、の存在が無視できませんけれど。幾人かの自分にとって特別重要な交 信相手との数年来の関わりが、いろいろなところで私をずいぶん変えてきている のではないかと思います。

Oxford便りも、手紙でするのと、メールで書くのでは、だいぶ違うでしょう。 メールだとね、matter of factなことばかりで繋がる相手には、情緒も思索も へったくれも無いんだけれど、いったん何かのことでheart to heart talkが可 能になった相手に対しては、外界の出来事より内面を語りたくなる通信手段なのです よ。だから、下手すると泥沼になるし、幸せな場合には、普通じゃあり得ないよ うな語らいも可能になるというわけ。あなたがこのツールを手にしたのは、幸運 というべきでしょう。しかも素敵な交信相手がいるのなら。Good luck! ではまたね。

From Keiko


To the Next Page
BACK to the TOP PAGE
BACK to HOME