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From Yuko to Keiko 8/10/1999 「Oxfordから(5)」 (Oxford)
From Keiko to Yuko 8/10/1999 「Re:Oxfordから(5)」 (Tokyo)

From Yuko to Keiko 8/10/1999 「Oxfordから(5)」 (Oxford)

Dear Keiko

メールありがとう。読みごたえあったわよ。 こんなメールのやり取りしてたら他の人へのメールはさておく事になってしまう。

>公開できない部分の方が面白いメールになっちゃった。何とかして入れたいわ
>ね。私がeditすると、平凡なものになりかねない。あなたに任せておくと
>「発禁の書」になりかねない。この両極端の性格が我々の持ち味よね。

実にその通り。でもしかたないんじゃない?もともと私は「発禁の書」的人生を 生きているのよ。便りのどこかに書いたと思うけど,誰の人生も事実を 忠実に解放するだけで充分おもしろい小説になるとは先人も言ったこと。 「発禁の書」とはよく言ったものよ。いつの世にも発禁処分を食らうような人生の 表現の仕方をするものがいる。でもいつか前に私たち共通の友人が留学記のようなもの を書いた時、あなたは「欠けているものは人が最も興味ある所に言及した部分が 少ない事」と言った事おぼえているよね。ただし、人の名誉に関わるようなことは 慎重に考えた方が良い事はわかる。だから、昨日長いメールの後であなたにもう 一度、短文を送ったのです。わかっているよ。

>人にはみな違う価値観があって、そのどれもが当人達にとって必然的なもの
>ならば、批判するに当たらないということの分からないのが世間には多いの。
>不用意に、あなたの「世間とは違う」価値観を言っても、受け入れられがた
>い訳よ。やっかみも相当あると思う。ロマンスとは無縁のところで生きてい
>る人々は、ロマンスを生きる女に対して、とても意地悪くなるのよ。

そう、そういうことも経験してきた。意地悪も感じてきた。 第三者に対しては警戒するというより礼儀を守る事は考える。むやみな摩擦を 招くのも賢くない事もわかる。だから、第三者が特定できる時はかなりケアできる。 でも、不特定多数の相手に気を使うのには慣れていない。あなたの 言うようにHPなんかに公開する時には注意しなければとも思う。それがこのゲーム のルールでしょう。しかし私のネイチャーとしてまたやっちゃうだろうなあ。 長年付き合ってきてわかってるとあなたが思っていることも当たりの確立は高い けど、でもお互いに違う人生を25年も生きてきたんだよ。私は相変わらず私だけど あなたが想像してない部分ですごくintensiveに進んできたかもしれないでしょ。 特に歌を歌い始めてから。

うたを歌う事は人前ではだかの自分をさらすこと。歌を詠むことも同じだろうけれど、 歌うという行為そのものは人前でセックスをしているようなもの。過激な言い方かも しれないけどそれが私の感じる事。自慰行為はあまり見せられるものではないけど、時々そうなることもある。だから、この間リスボンで連続5夜ファドを聴いていた時も、言葉がわからなくても、ソレは感じる事ができる。名のある店でお上手な歌手が美声で歌っていても何にも感じない。絵に描いたパーフェクトなヌードには。でもね、一人いたんだよ。ちょっといい歌い手が。幸いCDを手に入れた。説明するより聴いてもらった方が速いと思うので興味があったら帰国後おくるよ。アマリア・ロドリゲスという歌手がファドの女王のように君臨していたのだけど、少し前に引退してからは第一線のライブでは若いひとたちの活躍もめざましいようです。ドゥルス ポンテス、マドレデウスなんか耳にしたことない?リスボンではいまだにロドリゲスの人気に影はささず、CDショップでも彼女のものが席巻している。街のキャフェでも耳にする。

ファドの歴史はおいておいて、私にとってファドがどう聞こえるかと言うと、人のナ マの叫び泥臭く人間的。メロデイはどちらかと言うと哀愁の漂うものが多い。もちろん、文化的にもアラブとかアジアに通じるものがあって日本人は割と好むのじゃないでしょうか。

>アハメッド・・・なんて懐かしい名前。あなたがもう少しで砂漠の中に消えてい
>きかねなかったことを思い出したわ。いったい彼はいつ亡くなったの?知らな
>かった。文通を?それとも風の便りに?生き延びていればゆくゆくは屈指の外交
>官か国連の幹部にでもなっていた人でしたよね。人は戦で命を落とすものだと言
>うことをあらためて感じるニュースね。

アラブと書いてアハメッドのことを思い出した。彼のフラットでよく聴いたコーラ ン、そして名は忘れたけどエジプトの国民的歌手の歌,どこかファドに似ている。 探せば彼が置いていってくれたテープがまだどこかにあるかも。 わたしの人生の最も小説的な部分のひとつ、アハメッド。ご心配なく、夫は 何もかも知っています。もう時効でしょう。かれの生まれた村は青のナイルと 白のナイルの流れの合うところ。そこへ私が行っていたら今ごろは何をしていただろ う。村の女達の先頭に立って女の権利のために闘っているなんて言うのはカッコ良すぎるか。彼が死んだ事は偶然ある時Reading大時代の知り合いのひとりが(グレナダと いう小さな国で政府の仕事をしている男)連絡をくれたので、いろいろな友達の消息を尋ねているうちに知った。いつかは知らない。風のうわさ程度の情報と受け流す事ができたら良かったのだけど。出会った最初の頃からアハメッドは「長く生きないと思う」と言っていた。もう一人同じ事を言っていた男も42歳で死んだ。先日お墓に行って"Tragically died at the age of 42"という墓石の記述を見たら不思議な気がした。去年まではそうじゃなっかったんだけどね。私は47になろうとしているのに。

>「一人の男に恋する以上のものを歌うこと
>から感じている」と言ったあなた。覚えている?私は少し不可解だった。

それは本当です。今もそう感じる。あなたにウソをついてもしかたない。 どうして不可解なの?忘れるというのは難しいけどもういいのよ。 恋について降りたといったわけじゃない。愛する事の愛される事の快感から 身を引いたわけでもない。でも一人だけの男に恋している状態はあれ以来ない。

本題に戻るとしますか。 私たちの往復書簡というよりあなたは優秀なインタビュゥアーで聞き手で書き手でも ある。私のことばかり書くのがこれの目的でもないと思うのだけど何だかスタイルが決まってきちゃったみたい。まあ今はこれで行くとしますか。そのうち私から聞かせてもらいたいこともある。

>それは良い考えだ。あなたなら考えそうなこと。嬉しいわ、そんなお誘いを受け
>るなんて。「橋の上」は、もし使ってくれるなら、そのつもりで少し書き換えま
>す。確かに中島流の言い回しが入り込んでいる部分があるのよ。剽窃したのじゃ
>ないんだけれど、自然に入っちゃった。何せ毎日聴くものだから。はっきり意識
>して、その部分を排除して、一つの形に作り直して送るわね。後はあなたが歌い
>やすいように、作曲する人と手直ししてみて下さい。歌詞を書くときのルールっ
>てあるの?必要最低限のことを教えてちょうだい。

作りなおさなくてもほぼこのままでいけるかもしれない。あまりルールを考えなくて いいと思う。それより、こころから出てくる本当の言葉があれば歌になるよ。 中島流の言いまわしを手直しすることもないけど、気になるならやってみてくだ さい。私はあれを既に歌いながら読んだのよ。語数と言うかシラブル的にも扱いやすい。賛成してくれてありがとう。楽しみが増えたよ。まだ夢かもしれないけど、そんなに遠くも無い夢。CDにあなたの歌を入れること。CDはこの秋試験的に作るけど。臨場感が売り物の私だからCDになっちゃうとなああんだってことかもしれないけどね。

このニュースは公開しようよ。すぐ実現する事でもあるしね。ピアニストのHさんには この事は興味あるだろうから後でメールしとく。

>そうね、こういう行動力が日本人には、たとえ国内ではどんなにリーダーシップ
>をとっていた子でも、衝撃なのでしょう。若いなりに各国の生徒達は個人として
>生きている証拠かしら。もしあなたならどうする?横浜の中学校の英語の先生の
>所に、何度も「そんな英語を教えているのはおかしい」と抗議に行ったあなたな
>ら。また、25年前のあなただったらどうしていたかしら。

私はそのころ、客観的に見て洞察力も批判精神も持ち合せが多かったと思う。 でもイギリスで他の学生達に引けを取らず洞察力と批判精神を駆使して自己主張でき るには精神だけではだめで技術がいるって事。だから私は学んだ、英語をそしてデイベ−トを。しかしそれにしては今も論理的思考がにがてなのはなぜ? うすうすわかっているんだけどね。というより感じている。いかに論理的に自己主張 するかの術を身につけたところで、そんなことばかりの人生は楽しくも嬉しくも無いから。わたしという人間の特徴は非論理的であろうが何だろうがワンダーのまま人に自分の 存在を受け入れてもらうことが得意。とは私が思ってるだけかな・・・何て得な性格!そう思えることがすごく得してない?でもひとたび非常事態でも起きて術が必要になれば錆びちゃいませんぜ。まだまだ。日本にはそう言うものが自然に育つ土壌はまだないと思うから子供達には私達から道を開いてやらねばならないかもね。

>死んだ友達の命を貰って、Yuko、あなた
>は生きていくんだわ。ほら、いつか言っていたでしょ、あなたの体に美しい妖精
>がとまっているのを誰かが見たって。もしかすると歌っているときには、親しい
>スピリットがたくさんあなたの周りを取り巻いているのかもしれないわ。そう感
>じること、無い?

いつも感じている。この瞬間も。その事を歌にして歌いたい気がする。 死んだ子供や死んだ友達の命を痛く熱く感じているから。 そしてまた私が本当の自分を生きることに手を緩めたり本当の自分を 表現する歌を忘れるようなことがあれば、だれかの命がまた教えてくれるような気が するから私は忘れてはならない。渡英前にHさんに会った時バルバラの"A mourir pour mourir"という歌を歌いたいと言ったらぜんぜんあってないんじゃないということで、その時、なにげなく彼が勧めた「人生は美しい」という歌があります。ご存知かもしれませんが金子ゆかりさんも歌っていてなかなかいい訳詞なのです。渡英直前だったので原曲、原詩など調べる暇も無く手元にあった古い金子ゆかりのテープだけを掴んで来ました。曲も素敵でした。秋のライブで歌えるように練習し始めたけど、ここには譜もなくて厳しい。キーボードとCDプレイヤーがあるばかりで・・・それとHさんの弾いてくれたピアノカラオケ。この歌のはないけど。今に全てオンラインで譜面もそして音さえも届くようにできれば、便利だよね。もうそんなやり方で世界の音楽は動いているのでしょうけど。そうなると、バカンスも無くしごかれちゃうかなあ。

どうやらあなたも私も真夜中のメールライターのようですね。私のはあなたの朝へ あなたのは私の遅い昼に向けて。

最後に「人生は美しい」の訳詞を書いときます。訳は古賀力さんだったと思うけど 違ってたらHさんから訂正が入るでしょう。

茜色の空に広がるやさしいあなたの愛のささやき
小鳥の声はあたりに響く 何て素晴らしい 生きる喜び

恐れ慄き闘いあの地獄を逃れ
再び見る朝の新しい光よ

また会う幸せ また聞く歌声
何て素晴らしい 生きる喜び

夜空に流れるジャズの調べ 街の灯かりは何て美しい
赤い花のように輝くネオンに微笑むあなた 何て美しい

失いかけて知ったこの世の美しさ
いま夜の闇に抱き合う幸せ

再び帰る緑のふるさと
分かちあおう ふたりの人生

またあなたとこうして歌い抱き合う
この世はすべてなんて美しい
何て美しい

訳詞はシラブル数に気を使うけど これにしてもピッタリとはいってない。訳詞で外国の曲を歌う事のさけられぬ 問題です。

作詞は自由でいいの。後で歌いながら考えればいい。だから歌い手が書けば それは既に歌になってるって事だよ。

次のではもっとこちらの生活の事書く。無理はしないけど。 いつもあなたとの書簡はとくに最近は私にとっては 自分の来し方をなぞるいい機会になってない?

From Yuko


From Keiko to Yuko 8/10/1999 「Re:Oxfordから(5)」 (Tokyo)

Dear Yuko

あなたの情熱的かつ驚愕すべき率直なメールの後で、私が何を書いてもその迫力には及びもつかぬものとなること間違いなし。確かに25年の月日は私たちをグーンと違う方向へ導いた模様です。でもそのこと自体と、私たちの間で言葉が通じるかどうかはまた別のこと。生き方、感じ方、表し方は違っても、互いの存在を認め合うことにおいては今も昔も変わらない。多くの場合そうだったように、あなたが語り、私が耳を傾ける。私が時々挟む言葉に刺激されて、またさらにあなたは語り続ける。終電の時間を気にして、「目覚まし時計」をセットして喋りまくった頃が懐かしいわね。

レトロに浸っている場合ではないのだった。このメールでは、あなたに私の進行中の仕事、「往復書簡」をInternet Web にのせるための工作進行状況を知らせ、共同製作者であるあなたの意見を聞くという、重要な用件があるのです。しばし夢の世界を離れて、パソコンに向かって頂戴。昨日短いメールで試作ページのアドレスをお知らせしたところまでで私のエネルギーが切れ、最終確認をせずにぶっ倒れて寝てしまったのでした。

だから昨日は、もしかするとあなたにずいぶん無駄な時間を使わせてしまったので はないかと案じています。と言うのも、試作の「往復書簡」のアドレスを少しい つもと違う書き方にしたら、ファイルが壊れて表示されることに今朝気付いたか らです。多分いらいらして、「もう二度とパソコンなんか使わないからね」とマ シンをけっ飛ばすか、クッションで布団蒸しにでもしちゃったのではないか と心配です。(マシンのことがよ。)

この私の作るページが、壊れて表示されるなんてことがあろうか(実はよくあることなんですけど)、と悩みに悩 み、もしかするとブラウザーが突然ついこの前までのHTMLファイルを読まないほ ど進化してしまったのだろうかと、SF的妄想に駆られました。でも、こういうと きは落ち着いて、慌てず騒がず、あらゆる可能性を試して見るというのがマシン と付き合うときの鉄則であることを思い出し、何度もチェックしてみました。私 のWindows98マシンからも、Macintosh PowerBook1400cs/166からも。それでですね、どうか機嫌を直して、再度次の方法でアクセスを試みて下さい。

Netscape Navigatorを立ち上げる。 メニューバーの「ファイル」から、「開く」を選ぶ。 出てきたボックスにhttp://www.kitada.com/~keiko/oxford.htmlと打ち込んで、 「開く」をクリックする。

もしくは

Internet Explorerを立ち上げる。 あとはNetscape Navigatorと同じ手順で、 http://www.kitada.com/~keiko/oxford.htmlと打ち込んで「開く」。

前回とどこが違うのかというと、このアドレスの一番お終いに/(スラッシュ) が入っているかいないかだけなんです。それでもアドレス指定の差に繋がり、ブ ラウザーによっては見えたり見えなかったりします。どうか、間違っても、私が 前回出したメールの中に書いてあるアドレスをそのままクリックしてブラウザー を自動的に立ち上げたりしないで下さい。それだといつまで経っても同じことの 繰り返しになります。

ああ、もうちょっとで昨日一日の労働は水の泡かと思いましたが、そう捨てたも んでもなさそうです。これでうまく表示されないのなら、所詮私たちの「往復書 簡」なんざぁ人様に公開するようなものじゃないって言う天の思し召しかと思い かけましたが、どうもそうでもなさそうです。こういう試みがどういう意味を持 つのかについては、後日じっくり論じます。今は、私は職人に徹していますか ら、できばえだけを見てやって下さい。

壁紙も切手の絵も、あちこちのサイトを飛び回って、「これだ」というのを調達 してきたのよ。気に入ってくれるかしら。内容についてあなたのチェックを経て から、公開しますね。最終的には、あと4、5ページは増えるでしょう。結構な読 み応えだと思う。できればあなたがイギリスにいるうちに、こちらの関係者の皆 様にお見せしたいですね。

この「公開書簡」ページを作りながら、私もホームページ作りについて、いろい ろ考えるところがあり、もうこの辺で、授業用の内容と、個人的な詩作、エッセ イ、日記、ドキュメントなどは、別々に切り離して、完璧な「個人ページ」を作 りたいと思うようになってきました。技術的にもグレードアップの時期だと思う し。

もしあなたのチェックがすんで、あんな感じで行こう、となったら、「往復書 簡」のトップページに音楽のMidi fileを入れましょう。そのページを開いてい る間はずっと音楽が鳴っているの。各ページに飛んでしまったら、もうBGMはな い方がいいでしょう。それでね、私のアイディア。そこに入れる音楽Midi file をHさんに作曲していただきませんか。 Midi fileの作り方は、私には分からないけれど、彼ならよく知っているでしょ う。もし、イヤだとおっしゃったら、音楽ソースをフリーで配布しているサイト から、あなたがいいのを選んでね。いいのがなければ音楽は無しで行こう。とに かく可能性をいろいろ追求してみたい。

どのジャンルでもそうだけれど、collaborationが広げる可能性は、とても創造 的なものになります。どうせやるなら、いいものを作ろう。やっているうちに 次々とアイディアは湧いてくるものですね。もっとも原型をあなたが気に入らな ければ最初からやり直しですが。それでもいいのよ。率直にご意見をどうぞ。

どう、たまにはこういうmatter of factなメールもいいでしょ。特に私はこの数年、自分のどうしようもない非・理科系的頭を筋道の立った思考方法のできるやかん(なんだそれ?)に打ち直そうと努めてきました。ウェッブページを作成する便利なソフトはいろいろあるのですけれど、バージニアにいるとき、何気なく出た図書館の講座でHTML(Hyper Text Markup Language)の書き方をならって試してみたら、面白いじゃないの。作業に整合性がないと、結果が出ないと言うところに、生まれて初めて「美しさ」を感じたものです。爾来、「タグ打ち」と言って、エディターに自分でマークしながらウェッブページを作る手仕事に熱中してきました。そろそろ合理化が必要なんですけれどね。

表現の器としてのウェッブページ、ツールとしてのパソコン、そこに自分の「書きたい気持ち」をどうフィットさせていくかをいつも考えています。機械が人間と精神の領域で出会ったのがパソコンではないかと思います。ある意味で、言葉に恋して今日まで来た私に、冷静さと情熱のブレンドの仕方を指南してくれるのがパソコンなのだとも言えるでしょう。それから忘れちゃいけないのが、そのような方向へ私の心を向けた「人間」(複数)の存在ですね。その人々のことを書き始めるときりがないのでまたの機会に。

美しい詩を教えてくれてありがとう。何度も読むわ。いつかあなたの歌で聴きたい。

From Keiko


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