初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2018年 6月 22日

散策思索 01

鳥の声

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「鳥の声」                   

K.Kitada

鶯(ウグイス)は早春にだけ鳴くものだと思っていた。

おそらく「梅に鶯」の言い習わしから、梅の花の枝に来て蜜を吸うメジロを鶯と取り違え、季節の図柄として自分の頭に刷り込んでしまったせいなのだろう。かつて小石川後楽園へ観梅に行った時、鈴なりといってもいいくらい(ウグイス色の)メジロが枝に群がっていた。そういえばメジロは鳴いていなかった。この鳥たちの色も誤解されることが多い。メジロはうぐいす豆や抹茶の鮮やかな緑色の体をして、白い縁取りが目の周りをぐるりと囲んでいるビジュアル系。鶯はむしろ体の茶色い目立たない鳥。こちらはもっぱら声で人気を博してきた。

春を過ぎて鶯がその後どこでどうしているのか考えたこともなかった。ところが今年は6月も尽きようと言うのにまだ鳴き続けているのが東京西郊の住宅街に一羽いる。とりわけ晴れた日の朝に夕に彼は朗々と声を響かせる。ただ、惜しむらくはどうしても最後で音を止められない。「ケキョケキョケキョ」と三回は繰り返す。一旦静まったかと思うとまた最初から始める。この「ホーホケキョケキョケキョ」を聴いていると、つがいの相手を見つけられずに呼び続けているのだろうか、それとも相手にめぐり合ってその幸福を寿いでいるのだろうかなどと、想像を逞しくしてしまう。鶯の鳴き声が求愛のためなのか、それとも相棒に危険を知らせる警告なのか、私はつい情緒的な解釈をしてしまうけれども、鳥類学者から見たらとんでもない思い込みかも知れない。

季節を問わず山道をゆく時、谷間に響く鶯の声を聞くことがある。深山ならぬ里山でも鶯は鳴く。街に飛んできたあの一羽も山にあればこんな同情を買うこともなかろうに。カナリアにも負けない美声を近所中に聞かせる鶯がどうして街に飛来したのか、食べる物は十分にあるのかと、私は気が気でならない。あの中途半端な鳴き方はそばに仲間がいないが故に、正調を習うことが叶わなかったせいなのだろうかとも思ってみる。声の聞こえない日は猫にでも食われたかと余計な心配をする。現代の東京で鶯の声に一喜一憂する私は余程暇人に違いない。

ところでホトトギスの「子規庵」(正岡子規の旧居)は鶯谷にある。こじんまりした平屋の日本家屋に草木の生い茂る庭が、病床の子規の目を楽しませた往時を保つように手入れされている。上野や谷中・根津・千駄木からも近いので、明治時代以来の風情を期待して行くとあたりのいささか剣呑な様子に驚かされるかもしれない。鶯の鳴く谷間どころか、そこは林立するラブホテルに囲まれた一角だ。子規の随想や日記などを読んでいると、上野の鐘が聞こえたり物売りの呼ばわる声が聞こえたり、彼は全身を耳にしてあたりの様子を感知している。目に映る折々の草花と同じように、ミニマルな病牀を宇宙大にして子規が生き抜いた庵が俗世の真只中に埋まっているとは皮肉なことでもあり、同時にそんな場所に生き続けていることはしたたかとも言える。

町の人々は周囲の塀に子規の句を記し、訪問者にさりげなく庵の在り処を指し示している。訪ねて行ったときふと迷ってすれ違った人に「どこでしょう?」と尋ねたら、「ああ、子規庵ならそこの角を曲がって行った右側ですよ」と親切に教えてくれた。屋内では、子規が寝ていたという部屋に、文机が糸瓜棚を見晴らす窓辺に向いており、その前に座れば訪問者は子規の視界を体験できる。庭に降りて茂みの間を歩めば子規の歌で馴染みのある植物を見つけられる。大仰な文学記念館でなく、ふらりと立ち寄れる知人の住居そのもの。訪問者は、皆読者として子規とは旧知の間柄を自認しているはずだ。

「キョキョキョ」と朗らかな声で鳴くホトトギスはカッコウの仲間。鶯などに托卵するという図々しい生態で知られる一方、血を吐くまで鳴くという故事が子規にこの鳥の名前を採らせたと聞くと、「不如帰」という表記の痛切さに思い至る。古来様々な歌に詠まれ愛でられてきた鳥だ。鶯谷の子規、街中の鶯。生まれ持った鳴き声を、時を越えて響かせ続ける鳥の音に現代人が心騒ぐものを覚えるのは、生き物の持っている声の力が種を超えて共鳴するからなのかも知れない。

それにしても東京には庭園が多い。子規庵の庭を極小の庭園とすると、大中様々に、小石川後楽園、小石川植物園、六義園、新宿御苑、浜離宮、肥後細川庭園、向島百花園、と枚挙に暇がない。庭園と呼ぶのは些かためらわれるものの、東京大学本郷キャンパスにある三四郎池も鬱蒼とした谷に巨石を配し、深山の趣を醸し出している。足元を確かめながら池の畔に降り立つと、水量の多い時・少ない時でだいぶ印象が異なるものの、都会の喧騒を忘れることが出来る。大学構内への出入りは自由であるから、散策がいつでも可能なのはありがたい。池の中の島には雑草が生い茂り、日暮れ時にはことさら風情がある。三四郎池から安田講堂前広場へと登ると、1960年代の最後に学生たちが立てこもり機動隊の放水に洗われた建物が今も屹立している。

本郷から上野まではさして遠くない。行き方はいろいろあるが、東大本郷ギャンパス東側の龍岡門から道なりに歩くと「無縁坂」に出会い、旧岩崎邸脇を下れば不忍池に出る。そのまま上野公園を突っ切って、国立博物館の塀沿いにまっすぐ進むと、岡の上から視界が開けてその先にあるのはJR山手線や常磐線を始めとする夥しい数の鉄道線路を跨ぐ大陸橋だ。「上野のお山」は比喩にあらず。土地の高低差が実感できる。そして陸橋を渡ったところに鶯谷駅がある。

ある日午睡をしていたら、鶯の声で目が覚めた。間違いなくいつもの「ケキョケキョ坊主」だ。10回に1回くらい「ホーホケキョ」に近い発声で収まることもあるが、たいてい最後で滑っている。しかもあるときは最後のトレモロを50回近く繰り返した。鳥の声には意味があるのだろうか。いい声でしばらく鳴き続けて、行ってしまった。ベッドサイドの『正岡子規』(ちくま日本文学40)で読み止しのページを開いたところにあったのは日記「墨汁一滴」のこんな一節だった。

ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛をこらえながら病床からつくづくと見ている。痛いことも痛いが綺麗なことも綺麗じゃ。(p.190)

散文にも見事に無駄がない。鶯の声に意味を求める必要はないと思った。

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