Mails from Virginia

No. 1 (日本語版)

June 16, 1997

東洋女子短期大学の皆様

皆様お元気ですか。東京は梅雨の最中かと思います。雨に濡れるあじさいの花を懐かしく思い出しているところです。私は今、在外研究のためアメリカ合衆国バージニア州、シャーロッツビル市 (Charlottesville) に滞在しています。四月一日にこちらに来て九月の末ま で、ちょうど半年間の訪問研究員としてバージニア大学(UVA)のCurry School of Educationに所属し、英語の教授法やコンピュータを利用した研究・教育 活動などについて勉強しています。夫と娘(9才)の家族三人、大学キャンパスはずれのアパートで暮らしながら体験するアメリカ生活のことを、お伝 えしてみたくなりました。幸い持参したノートパソコン・Macintosh PowerBookがこのところ快調に動いてくれていますので、日本語でのお便りをインターネットを通じてお送りすることが出来ます。こちらの様子をご報告します。時々のぞいて見て下さいね。

Virginiaってご存じですか?

ここバージニア州はアメリカ合衆国の南部と東部のボーダーラインに位置する土地柄のせいか、保守的で穏やかな雰囲気の場所です。以前に暮らしたことのあるカリフォルニア州Los Angeles近郊やアラバマ州Birminghamなどに比べると、気候も人心も日本人の私たち には馴染みやすいものがあります。到着した頃、至る所に咲くはなみずきで街は薄桃 色と白に彩られ、その後つつじが満開となり、今は泰山木の花の季節。深い緑が街に涼しい陰を落として います。時折しめやかな雨の降る日もあり、樹木は豊かに繁っています。真夏になると猛烈な暑さと湿度が耐え難いほどだということですが、「亜熱帯」に近い東京か ら来た者にはどの程度にこたえるか、半ば恐れつつ待機しているところです。

地図でご覧になるとVirginiaはWashington D.C.の真下(南)にあって、大西洋に面しています。先日夫が国際会議で講演をするのに同行して家族揃って、Delaware 州、Newarkに行った帰り、Pnesylvania州のPhiladelphiaをちょっと見物してきましたが、飛行機だとCharlottesville--Philadelphia間は一時間足らず。地元の人達は車で移動 する距離です。私たちの感覚だと旅行には先ず列車の利用を思い浮かべますからイン ターネットのホームページでAmtrakの時刻表を調べて見たところ、午前六時半に中継地に当たるWashington D.C.行きの便が一本Charlottesville駅に停車するのみ。Delaware州Newarkへの直通便など見当たりません。Greyhound(バス)だとWashington D.C.まででも四時間かかります。自分で運転して行けばD.C.まで二時間ということですか らやはりここはハイウェイの整備された、"do it yourself"の国であることを痛感しました。滞在半ばにして、まだまだ土地 には不案内です。

運転はお好きですか?

州外への移動はもちろんのこと地元Charlottesvilleで生活するにも車は必需品であることを日々実感しています。学期中は広いキャンパスを巡回している、ただで乗り降りし放題の大学のバスサービ スが頻繁に走り回り、買い物も近所の"Foods of All Nations"という世界各地の食品を売るマーケットで米・味噌・醤 油を始め日本人にとっての必需品が比較的簡単に手に入るため、車無しで特に痛痒を感じ ることはありませんでした。ところが夏休み近くになると週末のバスはとだえウィークデイでも運行本数は減り、徒歩で生活し続けるのは限界に来たことに気付きました。「たかが半年の滞在だもの、車なんか 無くたって」という当初の予測は見事にはずれました。そこで中古車を買いに出かけ、Virginia driver's licenseをとる勉強をし、テストを受け、保険の手続きをし・・・と、このとこ ろ車のことで忙しくなりました。

アメリカ合衆国は州政府が独立して機能している側面が非常に多いと聞きます。州ごとの法律が生活に直結しているわけですが、交通法規の内容もその遵守の程度も州によって異なります。 バージニアで暮らすにはバージニアの運転免許が要ります。そしてバージニアの交通法規はきわめて厳格です。十二年前にカリフォルニアにいたときに は、DMV(Department of Motor Vehicles)という試験場へ国際免許で買ったばかりの自分の車を運転して行って、夫婦共に一度でライセンス試験に合格しました。夫など満点近い成績で「イ ンストラクター」の資格付きライセンスまで貰ったものです。ところがバージニアではそうはいきませんでした。日本を出発する前に国際免許を準備しなかったのも問題なのですが、もしあったとしても有効期限は三十日。車を見に行った時にはその期間をはるかに超えていました。

ライセンスが無いと車を選ぶための試運転をさせてもらえないし、ディーラーの人がやる試運転を見て何とか 車は買ったものの免許が無いので家まで運転して帰れない、路上試験を受ける準備のための慣らし 運転も出来ない、どうしたらいいの?という感じでした。仕方が無いので店に車を預 けたまま帰宅して筆記試験の勉強に励み、ディーラーに頼んでDMVへ連れて行っても らって受験。筆記といってもコンピュータ画面上でのタッチパネル式の試験です。画 像入りでなかなか込み入ったシチュエーションまで聞いて来ます。(移民の多いカリフォルニアでは複数の言語で試験問題が用意されており、日本語で受験することも可能でした。バージニアでは特別に通訳を付ける許可を貰わない限り英語で試験を受けるほかありません。) 筆記に受かるとその場で路上試験です。私たちは十二年間、完全にペーパードライバーでした。東京では車を運転する気が全く無かったのです。敢えて車から遠ざかっていたと言ってもいいくらいです。それが突然ハンドルを握ることになったのですから、自分の車とはいえ その時初めて触るのでは勝手が分からず、試験官の厳しいチェックの元に最初に受けた夫が先ず不合格。私は実技試験を放棄 してその日は"learner's permit"(「仮免」にあたるものです。これがあると免許を持っている人が同乗していれば運転して構いません。)だけ貰って引き返しました。

Charlottesvilleは天然の自動車教習所みたいな所です

三度目の受験でようやく夫が免許をとり、私はバージニアの交通規則の厳しさに恐れをなしてこの際教習を受け直すことにしました。週に何度かインストラクタ ーが教習所の車で家まで来て、一回一時間みっちりこのあたりの複雑な地形に対応で きるよう指導してくれます。Charlottesvilleは丘陵地帯なので起伏が多く、住宅地 ・学校・商業地区・農地・牧草地・山道・ハイウェイとバラエティーに富んでいます 。堂々たる体格のご婦人教官がビシバシしごいてくれるおかげで近辺の複雑な地形に大分馴染み、大学キャンパスの外を見物する良い機会にはなりましたけれども、習い始めて数週間が経過 するのに未だ「受験許可」がおりません。余程勘の悪い生徒なのでしょう。一人立ちでき る日が待ち遠しい限りです。それまでは半人前の気分。身分証明に運転免許証の提示を求められる機会も頻繁にあります。大都会などの例外はあるにしても、この国で車の運転が出来ない というのは大きなハンディーであることを身にしみて感じています。

但しアメリカにもこの徹底した車社会に懐疑的で、個人の「自由と独立」と引き替えに莫大なエネルギー消費、大気汚染、環境破壊がもたらされたことを真剣に憂いている人もいます。一人一人が自分の車で自由自在に動き回る気楽さの別の側面を考える人は、人間がどれほど科学技術の恩恵を受けて「自由と独立」を謳歌しようとも、地球という生命の集合体、資源には限りがあるという現実から一人離れて生きることなど出来はしないと強調します。「一家族が何台も車を持つような大量消費がいつまでも続けられる訳が無いと思いますよ」と穏やかな言葉で、しかしきっぱりとその人は言っていました。車が満足に運転できないことで些か悲観的になっていた私は興味を引かれて、「でもこの国で移動するのに車が無かったらどうなりますか?他にどんな方法があると思いますか?」と身を乗り出して聞いてしまいました。私たちは子供が泳ぐのをプールサイドから見守っていた母親どうしで、その時まで一面識もなかったのですが、ろくに自己紹介もせずにそんな話をし始めていたのでした。

その人にはっきりした未来のビジョンがあるわけではないけれども、直覚的にアメリカの現状に危機感を持っているのは確かでした。逆に私の方が「日本ではどうしているのですか?車じゃない交通機関がいろいろ有るのでしょう?」と聞かれてしまいました。マス・トランスポーテーションの可能性について知りたいようでした。そう言えばUVAで私の所属する部署のイントラネットの同報メールでも「通勤にはバスを利用しましょう。環境保護のために、そして車を運転するストレスから解放されるために」というメッセージが流れたことがありましたし、住んでいるアパートで「夜の外出に、週三回ミニバンが出ます。自分で運転しなくていい夜は安心してアルコールが楽しめます。運転のストレスを忘れて、是非ご利用を」というチラシが配られたこともあります。アメリカといえど誰もが車社会の現状を全面肯定しているのではないことに気付きました。

プールサイドの女性に、「日本には効率的な公共交通機関、安定した雇用制度、高い教育程度、親密な家族関係などがあるそうですね。その通りですか?」と聞かれて、これまでの日本は地道に、勤勉に、互いを気遣いながら人々が生活する国ではあったけれど、そのような特性の裏側には負の面もあって、最近ではずいぶん人々の価値観が変わってきているということも私は説明しないわけにいきませんでした 。どの国も産業の発展と共に急速に失われつつある文化遺産や精神性、自然環境については共通の悩みを抱えています。日本がその例外でないことは皆様もよくご存じの通りです。例えば遠くから見る優雅な富士の麓にモクモクと煙をはく工場群があり、白砂青松はもはや絵画の中だけのものとなり、政府主導で行われる河川の整備工事が生態系を今も破壊し続けている現実は覆い様がありませんから、正直に日本の実情をあれこれ話すと、とても残念がられました。でも話が「文化と伝統の保持」の重要性に及ぶとその人は、アメリカがこれまで世界に対して行ってきた「蛮行」の数々のことを口にしました。アメリカ文化が世界に与えた影響のことにも触れて、アメリカは決して額面通りの「自由と正義」の国ではなく、自分達の価値観で世界を思うままに出来ると思い込んできた過ちを認めなくてはならないというのです。図書館から借りて翻訳で読んだ清少納言の作品が特に好きだというその人はいつか日本に行ってみたいと言っていました。文学作品から相手の国のイメージを育んだという意味では私も同じですから親しみと共感を覚えると同時に、自国に対する厳しいまなざしを持つその人に孤立を恐れない強さとしなやかさというものを感じました。アメリカに来て、稀にこのような人と直接深く話す機会があるのは何よりの喜びです。

バージニアのお国自慢

バージニアはアメリカ合衆国の中では歴史のある場所です。George Washigntonを始め、歴代八人の大統領を送り出したことが自慢です。中でも第三代大統領のThomas Jeffersonの出身地とあってCharlottesville郊外の彼の広大な家屋敷Monticelloには全米各地からの観光客が絶えません。 (娘の小学校のクラスで飼っているハムスターまで"T.J."と呼ばれています!) 私たちもまともに車の運転が出来るようになったら先ずそこを訪れてみたいと思っています。ほんの目と鼻の先のところにあるのに、バス一つ走っていないのです。タクシーで行ってみようとさえ思ったこともありますが、ドライブの最初の目的地として大事にとってあ ります。

University of Virginia (UVA) はこの創設者にちなんで"University of Mr. Jefferson"として親しまれています。大学は五月の末に盛大な卒業式が行われて夏休みに入りしばしの静寂が訪れましたが、いよいよこれから八月上旬まで サマーセッションが始まろうとしているところです。夏期集中コースにはバージニア 大学の学生のみならず、州内外の各地から多様な人々が集まってくるはずです。Curry School of Educationには現役の先生達が夏休みを利用して勉強しに来ますし、若い作家や詩人の卵達が創作技法を磨くためのコースもあります。一体どんなことが行わ れるのか興味がありますので、幾つか授業を覗きに行って見たいと思っています。

Charlottesvilleは静かな「村」じゃない!

Charlottesvilleは最近の調査で全米でも「最も住みやすい街」の一つに挙げられたそうです。確かに街全体は落ち着いていて静かなよいところなのですが、学生の多いこのアパートはそうでもありません。学期中は夜中まで若者達の賑やかな声や車の音が絶えず、夏休みこそ静かになると思っていたのにとんでもない! アパートではこの時期を利用して水道工事や室内の補修工事、また電話線の付け替えなどが次々に行われるため、朝か らものすごい騒音が響いています。アメリカの機械が立てる音は何でも猛烈です。ア パートのゴミ捨て場には巨大なコンテナが置いてあって、曜日や時間帯にこだわら ずいつでもその中にゴミを捨てられるのは良いのですが、一週間に二度、大きなトラ ックがやって来てグワァーンとコンテナを持ち上げて中味をあける その音にあたりの空気はばりばり震えます。リサイクルだの分別収集など 別世界の出来事。生ゴミから古い家具まで何もかもいっしょくたにどこに運ばれ て行くものやら・・・広い国土なればこそのシステムでしょうが、暴力的なまでの大音響によく誰も文句を言わないものだと不思議です。

住んでみて初めて分かるその国の素顔。それも時と共にどんどん変貌していきます。上に書いたプールサイドの女性は深刻化した環境汚染、医療制度や教育制度に失望して生まれ故郷のフロリダ州を離れ、バージニアに移り住んだのだそうです。Charlottesvilleがこの先いつまで「住みやすい街」であり続けるのか誰にも分かりません。皆様もいつか是非自分の目で見に来て下さい。最近こちら のおもちゃ屋でも英語版「たまごっち」が発売され、またたく間に売り切れとなりま した。この広い国土でもあんな小さな機械の中のペットに子供たちが夢中になるのは 何故でしょう。日本製のテレビゲームの浸透ぶりは言うまでもありません。世界中至る所でバーチャルリアリティーがリアリティーを凌駕つつあります。とりわけ若い世代にとって仮想現実が安らぎと楽しみの場になっているのだとしたら、もはやそれは無視することの出来ない実在の領域です。こうして私がパソコンに向かうのも、外界を動き回ることだけが意義ある「活動」だとは思っていない証拠です。電子機器を通して人々が自分を取り戻そうとする時代になってきたのではないでしょうか。それは既に失われた何かとの引き替えなのかもしれません。皆様はどう思いますか。

また書きます。e-mailをお待ちしています。どうぞお元気で。

best wishes from Keiko

(写真は上から順に「春先のはなみずき」、「Curry School of Education」、「UVAキャンパスの小道」です。)

 


*HOME*
*PREVIOUS*